ひと回りほど経つのではないでしょうか?
当時の勤務先で福利厚生に保養施設として契約していたホテルにて
まだフューチャホンとかガラケーとか言われて無い時代
スマートフォンの出現なんて・・従いスマホの言葉も無し
今のデジカメ付きガラケーのはしり・・だったハズ
解像度は240×320
同じ携帯会社ゆえ、本当にインターネットで無く(iモードより前)何とか規格の通信で写真のやり取りが出来る?ことの確認で撮影して同僚に送信
ついぞ届いたとの表情は無かった
軽井沢にて
専用ディジタルカメラ で無く携帯で写真が撮れる・・世の中、便利になったなぁ~ まだ白黒写真だったよなぁ~
なんて言うホテルだったか”軽井沢 ホテル”などでネット検索してみたが記憶がハッキリしないし似たようなホテルが多く未解決
古都です。京都です。三年坂です。清水寺はお近くです。
どこから来やはった? 海の向こうから?
馬車で? 何?ヒ・コ・ー・キ で?
ならば京の お・も・て・な・し で。
オリンピック精神も込めて・・・
今時の古都・京都観光では若い女性は勿論、お相手の男性もレンタル着物を着ての体験旅行が多く見受けられます
着慣れてないハズなのに・・軽々と・・ご心配無用
十二単とかではなくて少々シンプルみたい
まさか化繊の着物ではないと思いたいが・・・
一昔前は着物の需要も相当に有ったんでしょう
京都の織屋さんも、もっと繁盛していたのでは?何せ日本文化の中心だもの・・
一時は郷里・奄美の「本場大島紬」も機織りが盛んだった
生家でも桑の葉を摘んで来て蚕を飼い、繭を大きな鍋の熱湯に入れ生糸を得ていたことも。
徳之島から奄美大島に移り本格的な農作業と共に出来なくなった
それから数年して機織り工場が進出、母親も昼は織工場で夜は狭っ苦しい炊事場の横の機織り機でカッタンコットン遅くまで織っていた
しばらくして所謂、「離島ブーム・島ブーム」らしき時代が到来
「島育ち」「島のブルース」やら・・・
それも着物の需要が落ち込んで行くと・・・
古都・京都を散策していたら三十三間堂(京都市東山区)の南側に出ました。 東側にも回ってみました
古都・京都の「保津川下り」(桂川を亀岡市~京都市嵐山地区)
(京都府)京都市・南丹地域(大阪府)北河内地域・豊能地域・三島地域にて太陽光発電・オール電化・住宅リフォーム+ソフト開発の[ソフト工務店]エネシスポート(亀岡市)~因みに太陽光発電・発電量推定ソフトも自作でシミュレーションも色んな角度で