元離宮二条城 東南隅櫓
「写真」カテゴリーアーカイブ
京都市内_1~2月、作業現場の行き帰りに足を止めてデジカメを構える?素人構えですよ。この出来は?
京都府京都市 神泉苑 節分祭-1~8
京都府京都市 京都御苑 堺町御門
京都府京都市 鴨川
京都府京都市 本家西尾八ッ橋 熊野店 八ッ橋発祥の家
(本家西尾八ッ橋|八つ橋発祥300年の家)
上のリンクアドレスには”8284″なる数字が含まれています
あれっ!でも、スグに理解できました。恐らく・・・
“ヤ・ツ・ハ・シ → 8284″ ごく自然な表現かも・・・
因みに当 エネシスポート (ENESYSPORT) は
ENE ・・・ Energy ・・・ エネルギー
SYS ・・・ System ・・・ システム
PORT ・・・ Port or Portal ・・・ 港・玄関
の組合せからの造語ですが、特別に限定している訳では有りません
榛名富士(群馬県)、上毛三山(榛名山・赤城山・妙義山)の一つ、車中泊から目覚めて。早朝の山頂は隠され?隠れて?
榛名湖の湖畔で車中泊、まだ人の動きが見えない早朝に榛名富士と称せられる榛名山を湖の向こうに見る
頭を隠していますがアレは紛れも無く富士山の形そのもの
富士の名を語っても誰ひとり文句は言えないと思う
因みに~~富士なる山々も多い
鹿児島県指宿市の開聞岳(かいもんだけ)もそうでしたね=薩摩富士
こちらの富士には登ったことが有るんです
つい懐かしく周辺を見ました。 鹿児島市で数年、暮らしたこと有ったなぁ~
ところで八十八ヶ所霊場めぐり の「お遍路」が有ります
ならば場合によっては「富士めぐり」おヘンロも有りや無しや
在りし日、小江戸と称せられる埼玉県川越市の菓子屋横丁を散策した際の写真を追加投稿
坂戸市・亀岡市 さくら見比べ?のついでに川越市の菓子屋横丁を検索。思いでのスポットが大変な事態に
超有名とは言わないが落ち着いた雰囲気でソコソコの規模の2ヶ所の桜並木をほぼ満開に近い頃にデジカメ写真に収めて有ります
埼玉県坂戸市の東坂戸住宅団地内の小川沿いに見事な桜の並木が・・
満開のタイミングで東坂戸団地自治会の催す桜祭りが・・屋台の出店も有って花見しながら気持ち良さそうに一杯~無限杯のお酒を楽しんでいる人々も
夜桜見物もゆったりと気軽に出来たものです
近くにはソコソコ名の知れた「慈眼寺の垂れ桜(しだれ桜)」も控えています
一方、京都府亀岡市の七谷川沿いの「和らぎの道」の桜並木も結構な本数が植えられていて咲き出したら見事なもの
樹齢?には差が有りそう
住宅団地内の「さくら並木」と川沿いの公園道?に重なる「桜通り」
また撮影した時期にも数年の違いが・・
樹種も違うでしょう。 それら違いが有るから各々引き立つハズ
サイクリングやハイキングやドライブなどでまとまった数の撮影枚数になれば大概はアルバム化して来ました
四国ほぼ一周 、淡路島、小豆島をサイクリングした際の写真や多くの古き白黒写真の他、アルバムとして整理出来ずに放っておいたら遂には面倒臭がったりデジカメ機器の故障により処分・消滅の結末が・・
最近ではアルバムをディジタル化していたが残された大物?2者を競演させる形でアルバム化に成功?しました
(只今、外出先でのスマホによるモブログ投稿ですので、この記事内でのリンクは後程追加する予定)
========================= (リンク追加)
夢の競演?桜(さくら)の咲き比べ?両者のイイとこ取りを楽しむ
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さて埼玉県坂戸市、東坂戸団地の「さくら」の登場-桜-なので当時は近場にあたる川越市の何度かブログに出ていただいた?「菓子屋横丁」を久しぶりにネット検索してみた
びっくりした! ことも有ろうに昔ながらの街並み・駄菓子屋風情が一番の観光スポット「菓子屋横丁」にて半年程前に火事が有ったとのこと
観光スポットのど真ん中で数棟の全焼、火元?の方なんだろうか亡くなられた方もおられるらしい・・
大通りは車や観光客も多いし、現場周辺は通常でも人込みで混雑していた
古き善き時代の風情を保ちつつ街並みの復旧作業は非常に大変だと思う
想い出多い川越市の「菓子屋横丁」の復旧を願っています。
人通りの多い(今は、もっと多くの観光客が訪れて来ているハズ)大通りにスグ近くの和菓子屋さんだったとか
当時も狭い道を挟んで両側に並ぶ菓子屋を、あっち覗き此方の駄菓子を見ながら進んだものでした
そう言えば、何度か有名な地産の「紫いも」の芋菓子を買ったこと有ったなぁ
近かったことも有り、ちょうどイイ距離のサイクリング・コースで立ち寄るとほっとしたもの。
さすがにウリの駄菓子は遠慮していたが夏は「地ビール」、冬は「焼き餅」を求めたものです
「小江戸」で有名、菓子屋横丁のスグ近くには「時の鐘」も有ったなぁ!
「喜多院」~ 3代家光誕生の間や乳母の春日局が使用?の「書院」?春日局化粧の間が移築された 来たらしい
歴史に詳しく無いため間違いも有ると思いますが、そこは見識深い皆さん御自身でカバーして下さいませ
当方は、此にて失礼します