「思い出」カテゴリーアーカイブ

神話「因幡の白兎」で有名な「白兎海岸」で泳いだこと有ったなぁ・・

もう半世紀弱も前になろうか、微かな想い出が・・・
鳥取で大学生活を送っていた田舎の先輩を訪ねて鳥取へ
この時に案内されたのが神話「因幡の白兎」で有名な「白兎海岸」
二人で海水浴を・・・おっと失礼!
先輩の水着姿が独創的・特徴的なモノ

赤~い「フンドシ」なんです
陽気で元気ある海水浴、注目に値する水着でした
ただ残念ながら観客?は殆どいませんでした

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今思えば、このような俄か園芸も。 結果は? しかし一度は実った!

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CIMG5031もう半世紀超える前、昔むか~しになるんでしょうネ
大家族の全員が生家の一つ屋根で生活していた頃は
「俄か園芸」では無く、大家族を支える生業・家業だった

紬の生糸用に「桑の木」がすぐ近くの畑周辺に
母親が大きな鍋に大量のお湯を沸かし、中の繭から生糸を・・
そして長いこと「本場大島紬」の機織りを・・
その近くの畑にはバナナが
やや離れて点在する畑にはキャベツなど種々の野菜が
採れたての落花生を畑で炒めて食べたり
当時は、いまだにサトウキビ畑が重要な産物だった
此方は畑で切り落としてしゃぶったものです
また小さな製糖工場で絞って煮詰め、徐々に黒っぽくアメ状に
出来立ての黒砂糖の香ばしいこと
そう、サツマイモ畑も大きなウェイトを占めていました
週に1~2回だったかサツマイモだけの所謂、「芋弁当」で登校
やはり最も大きな割合は、米作り・・・稲作
今から考えると決して美味しくは無かったんでしょう
何より年2回収穫の二期作、台風銀座と言われるほどの決まって
数回も上陸又は接近する台風の強風と向き合いながら・・・
いわゆる大家族が皆一緒だった時代のこと

徐々に本土(内地と言ってた)に、または別の島へと仕事・就学のため
島を離れて行く
自身も一旦は島を離れるも、大家族だった状況から一人残された
祖母のもとで交代で生活することに・・・親元を離れる
もう農作業は無し・・・

追伸)
今は特産品としてミカン 「たんかん」がありますが生まれ故郷には
特別な果樹は無かった。 バナナ・パパイヤは庭先に有ったが・・・
小学の高学年になり移った先では、ミカン・さくらんぼ・すもも が。