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以前は・・一昔前は、焼酎は安かった。 飲まないまでも安価なアルコールであることは実感出来た。
物心ついてから小学校・中学校・高校と進むに徳之島・奄美大島の幾つかの集落・町を転々とした
生徒故、自分で飲むことは無くとも周りでは大人が頻繁に焼酎を飲み交わしていたものです。
親と同居していた際は、我が家にも職場の同僚たちがやって来て”ナンコ”ゲームしつつ焼酎を飲み交わしていた父。
自宅でも付き合いで飲むことが有っても決して独りで飲むことは無かった。見たことが無い。
恐らくは本土やら島内随一の町に通学していた兄弟達への仕送りでズッと窮していたからだろうと思う。
ある集落の借家住まいでは近くの小さな売店での食料品の買い物に買掛帳を利用していたくらい
生家なら自作の米で何とか間にあっても交通の便が悪い別の島での暮らし故、米穀通帳みたいな・・
中学の後半は親元を離れて通学していたためヒッソリ?と暮らし、アルコールと言えば離れた所の叔父二人の様子。
兎に角、二人の叔父さん達は滅法、強い! 甲乙つけ難いが、二人とも強い! 度の高い焼酎、一日一升瓶も・・
自分もアルコールを口にし始めた頃は、専らビールのみ。 他は、受付なかった。 気分が悪くなる。
社会人となり就職すると職場での各種の飲み会が有り、決まってチャンポンで御座います。
チャンポンは体験から駄目と分かっていても雰囲気は好きで当初は気持ちよく飲んで行きます。
急に回ってしまうんですネ。 気がついたら戻してしまっている。 その直前を覚えてないこともシバシバでした。
それから何十年も経ちましたね。 アルコールに鈍感になったのか結構、受け入れてます。
最近は・・。 日本酒もウィスキーも・・困ったものですね。
先日、スーパーの日本酒コーナーの向かいの棚に田舎の焼酎”奄美”を見つけた。
今までは取扱店のデパートや酒問屋やらで懐かしさから年に1~2回のペースで買い求めていたが、今回近くのスーパーで”奄美”が目に入った
お値段では日本酒とイイ勝負です。 郷里の焼酎が値段的に評価されたはいい事だろうが、幾分複雑な心境に・・・
田舎の人には求め易い地酒?の慣れ親しんだハズの焼酎、味が浸み込んだ黒糖焼酎が値段だけが上がりっ放しでは・・
どうも酒税としての課税トレンドは”度数”基準に向かっているらしい
度数の高さが特徴の一つだった黒糖焼酎への課税が相対的に課税強化された感じ。
一時は安くて気軽に飲めて二日酔い軽減云々で若者に受け入れられブームにもなってたと思う
生まれた集落には何一つ工場らしき工場は無かったが隣の集落の入口辺りに、当時としては大きな工場に見えた
珍しく大きな建物でナニしているんだろう?って感じ。
小さな精米工場で、頻繁に外れるタスキ掛けのベルトを掛けなおすくらいしか見たこと無かった故
某大手商社がサトウキビの搾りカスや従来は利用されて無かった部位も使用して燃料にする事業を興すらしい
彼此もう60年ほども昔になるでしょうか、小学校入学前後のことになりますが生家のスグ近くに小さな製糖工場~本当に小さなミニ工場が有った
恐らく集落単位での黒糖生産工場だった?。それも長くは残らずスグに目の前から消えた
でも懐かしい!サトウキビを絞る為の回転機を牛に引かせていた。 当時でも珍しい光景だった。 収穫期の僅かな期間だし~。
絞り機の回転軸の周りをグルグル回らせてキビ汁を搾りだす。
その絞りとったキビ汁をパン(例えば洗濯機の下に漏水防止に敷く器・・これを大きくしたもの・・トレイ?)の中で煮えたぎらせ掻き混ぜながら黒糖にして行く。 本当に甘~い香りのプンプンする現場だった。
”絞りかす”の行方は分かりません。各家庭での燃料は薪だったし肥料は他に使っていたみたい・・かと言ってワザワザ捨てていた事も無いのでは? 幼い頃の記憶ゆえ行先は I am sorry. I do not know !
やがて本格的な製糖工場が出来て、集落のプチ製糖工場は姿を消して行った訳です。
その前後は生まれ育った徳之島を含めた奄美群島(他には奄美大島・喜界島・沖永良部島・与論島・加計呂麻島)が沖縄地域より先に米軍統治下から日本へ返還・復帰した頃
恐らくは本土よりの資本が製糖工場に投下されたからでは?
急に収穫されたサトウキビを満載したトラックが行き交うようになる。
遠く離れた製糖工場に向け狭いデコボコの泥んこ道を走ることに。
復帰に係る復興振興対策事業などで、今では道路も整備され短時間での移動が可能になっているらしい
二期作の稲作が主体も本土への移住、特に若者の流出や全国的な稲作生産価格の低下で後継者不足なのでは
砂糖工場も全体的には海外からの輸入品が多くなり・・・加工品や黒糖焼酎に目立つくらいかも
本場大島紬も一時のブームは有れど全国的に和服の需要が減少、更には低コストの外国産紬が入って来たり・・
で大変なのでは・・・復興事業を地場産業と見ていいのか分かりません
さて例の”サトウキビの搾りかす”については一度見学に行った製糖工場で燃料に回しますと聞いたことが有り、集落のミニ工場では見かけなかったので感心した記憶が有ります。
ミニ工場で絞ってもカスには未だに水分が残っている! でも大型工場では絞りに絞っているからだろうと妙に感心していました。
恐らくは今回の某商社の企画でも、それを進化させた事業化でしょう。 発電事業への燃料化?とか
今度はサトウキビの葉っぱ・茎の部分も活用する? ナルホド!
昔、さとうきび収穫の際は先ず茎に近い箇所を鎌で切り取る~次に何本も有る葉っぱを切り落とす~更にキビの外側の皮を剥ぐ~必要が有れば適当な長さに分割
この段階で利用出来なかった部分も燃料に利用する訳だ! 確かに葉っぱも自然に枯れたら燃えやすいものだから
ついでながら蘇鉄の棘の有る葉っぱも枯れたら一気に燃える・・五右衛門風呂を沸かす際、燃料の薪への火付けに枯れたソテツの葉をくべたこと有ったっけ。
今では味わえないサトウキビの味
収穫したサトウキビをキビ畑で皮を剥いてしゃぶる・・キビ汁を・・仮にキビを目にすることが有っても、今は歯がボロボロではねぇ~入れ歯では無理だよなぁ~
絞り出したサトウキビの汁から工場で黒糖に仕上げて行く段階での香ばしい温かい出来立てホヤホヤの黒砂糖・・あぁ~美味しかった!
大阪府大阪市、天神橋筋商店街(天六商店街)
東京都、上野駅近くのアメ横商店街の雰囲気も
横浜中華街も・・・
一昔前に何度も通った鹿児島市の天文館商店街も
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(京都府)京都市・南丹地域(大阪府)北河内地域・豊能地域・三島地域にて太陽光発電・オール電化・住宅リフォーム+ソフト開発の[ソフト工務店]エネシスポート(亀岡市)~因みに太陽光発電・発電量推定ソフトも自作でシミュレーションも色んな角度で