エベレスト登山やヨット単独太平洋横断などの究極の冒険で無くとも究極の観光旅行は出来ませんし、そこまではしたくも有りません。
重ねて・・出来ません。 体力・年齢・体調・経験・注意力・判断力・経済力・知名度・マスコミ他からの注目度その他、様々な観点から・・・
でも究極の冒険に近い?エコ旅行・ECO旅と自分では認識しています旅・旅行は幾つも・・・
比較的大きな旅行の思い出は小学校時代の修学旅行、奄美大島・徳之島の小さな集落を転々としていて或る小学校時代の修学旅行です
奄美諸島では最大の人口を誇る?名瀬市(現在は市町村合併により奄美市になっています)へ・・・村内の入江・湾をポンポン船で進み、イザ外海へ出る。 今とは違い、道路の整備が今一つ。
大量?輸送手段はこんなもの。 何せ村内をバスが走ってない田舎。
家庭の経済状況で漫画やら学習誌など買ってもらえなかったが、買ってもらってる同級生でも数日遅れのお披露目?です
発行された本は鹿児島市から先ずは当時の名瀬市に陸揚げされ、改めて該当する村内向けのポンポン船に移し替えて輸送
村内を対岸の集落をジグザグに航行しながら各集落への諸々の荷揚げです・・・さらに配達作業やらで結構遅れていたんです
台風銀座と言われる奄美群島、年に何度かは台風の上陸・接近は有ります。
一旦ずっと南、沖縄の南付近に台風が接近すると何れは沖縄地方・奄美地方へ接近するケースが殆ど・・・よって、ずっと北に位置する本土の鹿児島市からの奄美諸島または奄美経由沖縄県向けの船舶の出航・南下が控えられることに・・・待機なんです
奄美を台風が通過しても出航地点の鹿児島市を通り過ぎないと・・・・
結局は、年に数度も有る台風により元々の遠距離・交通手段により遅れてしまう本土からの漫画・書籍・新聞・雑多な物資が更に遅れての配達に・・・慣れてない都会の人々には相当な苦痛でしょう
さて当初の予定の小学校の修学旅行、外海のシケで湾の出口まで旅行生を乗せて進めど外海へは大シケで危険の為、引き返した
慣れない船旅・それも小さなポンポン船・しかも危険な程に荒れた海上でした。 船酔いが酷い・・・未だかって無い船酔いだった
モドシタ! トコトンもどしました!
苦い感じの胃液・色のついた胃液を絞り出すようにはきだした。
もう滅茶苦茶な気持ちでしたね
改めて海面が凪いだ日に・・・小学校の修学旅行を。
そう言えば中学の修学旅行・・・熊本市の水前寺公園や阿蘇山へ
途中、スイッチバック式?とかの珍しいコースの線路旅も
久留米市だったか運動靴の月星ゴム?の工場も見学
当時の田舎では運動靴は貴重で一足の運動靴を買っただけで非常に心躍る感激をしたもの・・・あの感動の100分の1でも有りや無しや?今の時代の自分に・・
阿蘇山の火口がブツブツと湧き上がる模様を異様な感じで・・・
麓の旅館で飲んだ生まれて初めての瓶入り牛乳・・・珍しくて美味しかった・・心細い財布を気にしながら二本目を注文したことが有ったなぁ~
熊本へ向かう鹿児島市内の駅(恐らくは当時の西鹿児島駅だった?)にて当時は蒸気機関車での牽引ゆえ石炭の小さな破片を見て、これがセキタン?の何とも言えない不思議な素朴な小さな発見の事件でした
トンネル通過時の「ボッー ボッー」の汽笛の音、煙が入り込まない為だったのか列車の窓の開け閉めの繰り返し
全体が初体験の連続でした
奄美から我々、修学旅行生を乗せて来た定期船はシバシバあるとは言え半日程度遅れての鹿児島港着だった
天候や荷揚げ・荷卸しの遅れだったんでしょう
その為、鹿児島市内の天文館の山形屋デパートの見学が急遽、熊本市の大洋デパートでの見学に・・・そこで生まれて初めてのエレベータのお世話に・・有難うございました
(追記・・自己判定・・ほぼ究極に近い「エコ旅行・ECO旅」の面々)の
各アルバムをサイト 「写真集・フォトアルバム・スライドショー on NET(ネット) for 旅(旅行・旅路)」にアップロードし収録して有ります
—————- アルバムリストを抜粋して記します(リンク付き)