幼き頃、米軍の軍票1円と日本の1円札を郵便局で交換。1円もかなりの紙幣価値で大きな飴玉2個
後で九電に吸収された島の発電所能力で夜に暗くなる20~30Wの裸電球の照明、料金も相当割高
”あの~木なんの木気になる木”だったかCM、一校目の小学校校庭に似た雰囲気はガジュマルの木
ガジュマルの樹脂にモービル油を注して質の悪い消しゴム作り、ハエ取り紙のモチでメジロ獲り、今NG
浜にはアダンの木、実は見た目はパイナップルにそっくり、陸には群生する蘇鉄「あかいソテ~ツ~の」
電圧降下、電圧変動が大きく学校などでは設備用に大概、電圧昇圧用にスライダックが置いてあった
古い自転車のチューブを浮き袋にして泳ぐ。 何度も自転車はパンク、自分でパンク修理するのが普通
空気漏れ箇所の確認に洗面器の水に漬けて出てくる泡で判断しませんでした?今ではパンク自体が・・
パンク修理は充てるチューブ片の立面を台形状に切り取り、浜で見つけた軽石で擦り取り接着剤を塗る
冷房は手団扇、嫌な音の蚊と競って蚊帳の中へ。ネズミ、ヤモリ、ハエ、ノミ、ゴキブリ、ミミズ多かった
ノミ退治だったんでしょう!畳下は勿論、髪の毛にも度忘れした薬を散布された。お腹の虫下しも何度か
曲がり、節のあるサトウキビを担いだ肩の痛み。 タオルを束ねて肩にあて負担・痛みを抑えた。
田舎の黒砂糖製造現場での出来立ての味、何より香ばしかった。今、この歯ではキビをしゃぶれない。
庭や隣接の畑にはバナナ・パパイヤ、桑の木やハイビスカス。昔は蚕に繭、生糸も・・微かな思い出が。
群生する蘇鉄の木や、ランを本土向けに出荷する風景も。 今でもソテツを目にすると懐かしい。
風呂を沸かす際、薪(まき)の火付けにソテツの枯れ葉が役立った。 集めるとき先のトゲ?で痛いチクリ
親が織った大島紬の反物を山越えで納め、帰りは絹糸を持ち帰り機織り機にセット。 いつもより御馳走
大島紬、サトウキビ(黒糖)、稲作、バナナ、パイナップルなどの産物競争力が。時代の流れとは言え
泥染めの本場大島紬、或る時期には織物工場の社宅住まいも。 時間外には社宅内でカッタン・コットン
今は何処でも手に入る食パン、山越えで港町に寄港の船内売店にて購入して帰る。ドラの音で船外へ
台風銀座で珍しくもない台風に備え、雨戸を内外から竹の棒を渡して縛り固定。運動靴・雨靴は貴重品
台風で倒れた青く渋いバナナをカーバイドで加熱して一気の食べ溜め、栄養失調気味には偏った補給
集落に数軒点在の一番の商店前に置かれた白黒テレビにかじりつく群れの一人に。4K-TVとは大違い
露除けに稲藁で覆った足踏式脱穀機の下にトグロを巻いたハブとの遭遇、運よく先に気付いてホッと
離れの便所へ行くのもハブに咬まれないか懐中電灯を四方八方照らして・・僅かな物音にビクビクする
田んぼの稲束の間、水面を音もたてずスルリと進む、走るアオダイショウ。ハブでなくて胸を撫でおろす
進学準備の為、家族・知人を頼り卒業前に本土への生徒が多い中、親元離れ生家に戻り祖母との生活
当時の道では遠く離れた集落の叔父宅へ自転車で。世話になるからと祖母に2食分の米を持たされる
叔母宅では何度か御馳走になり栄養補給。 素潜りの叔父の獲って来たウニを腹一杯に、今なら・・・
新天地を求め南米へ移住者が旅発つ特別旋回のポンポン船に総出で紙テープで激励、後の境遇は
徳之島の井之川岳、奄美大島の湯湾岳、鹿児島県の 開聞岳(「薩摩富士)に富士山。昔はデジカメ無し
二期作の稲刈りの手伝いで買って来た棒アイスキャンディー、分け前を待つ。臭うアンモニアが冷媒?
潮の退いた珊瑚礁でのアオサ獲り、今でも大好物と言いたいが高血圧には。 素麺・うどんは頻繁に。
港の沖合に停泊の定期船へ伝馬船からの上下に大きく揺れる乗り降り、台風接近時は決死の乗下船。
帰省客で超満員の船内食堂でのカレーライス、美味しかった。2~3等客室ばかり。神戸からは2泊も。
台風接近で大荒れとなり引返した修学旅行船、胃液まで絞り出した船酔い。酒酔いとは全く違う体験。
中学の修学旅行、エレベータ・牛乳・列車を初体験、小さな島から阿蘇の大自然へ。 あれから何十年
豚・鶏も飼ってたが親は白い脂身ばかり食べてたような・・今になり、あっ!そうだったんだ。大勢故に。
五右衛門風呂への水汲み、何回も川まで往復して。煙い中で湯沸しに薪を。 入れ替わり僅かな時間
上手でないが薪割りも。 一度は近くの集落より小舟で製材所の木屑を運んだことも有ったっけ!
闘牛大会・・・後ほど、独特の雰囲気の競技と分かる。ワイド、ワイド・・・。サイクリングで宇和島もと知る
今ではアッと言う間の距離!デコボコ道をボンネット・バスで。よくエンストあり、乗客がバスを押すことも
数年前には確たる目的も無く富士山麓へドライブ
直前になって意を決して記念となる富士登山を体験しましたが
前夜遅くまでガソリンスタンド探しに窮し、僅かな睡眠の仮眠をとり登頂
更には火口周りの「お鉢めぐり」を加える
下山途中までは順調も、途中で痛恨の負傷・・・杖無し・シューズ無し故
傷が進むのを覚悟して間借りの明かり?を頼りに強行下山を続ける。
更には生涯で一番のアクシデント・・・恐怖を感じる間も無くその瞬間が過ぎた。
思い出すと標高では富士山にかなわないが、次の山々にも登っていた
高尾山(八王子市) 富士山(静岡県・山梨県) 開聞岳(指宿市) 湯湾岳(奄美大島) 井之川岳(徳之島)で各々の標高は如何ほどなのだろうか
検索してみました。
高尾山(八王子市)・・・・・・・・・・599m
富士山(静岡県・山梨県)・・・・3776m
開聞岳(指宿市)・・・・・・・・・・・・924m
湯湾岳(奄美大島)・・・・・・・・・694.4m
井之川岳(徳之島)・・・・・・・・・645m
ちょっと待った!
登頂五山の全てを積み重ねても世界一の山には及ばないんだって?
何っ!登山の難易度が比べようが無いんだって???
因みに神戸の六甲山にも登った事が有りますが途中から同行した方が体調が・・登ってスグにタクシーで送り届ける羽目に・・従い、最高峰までは進まず標高も分からず・・登山と言っても上りのみ・・・ まぁ~不足分の六甲山からの下りは、上りの先か後かは定かな記憶は無いが職場のレクリエーションで上りはバス、下りはハイキングで有馬温泉へ・・・これらを加えててもエベレストには及ばない!登山も色々。 そうだ、島倉さんも言っていた?歌っていた? 人生いろいろ・・と
上記の六甲山登山?ハイキングは次の投稿記事(長文で~す)の中で
見つけられるでしょうか? チャレンジ精神で探してみては?