「思い出」タグアーカイブ

旅ログ=(旅の備忘録or旅のブログor旅記録or旅日記)など頑張っ て?毎日の様にアップロード

頑張って?毎日の様にアップロードしています
何を、そんなに・・ナイショにしたいところですが賢い(失礼!失礼!)皆さんにはスグに分かってしまう事でしょう。 よって・・
旅ログ=(旅の備忘録or旅のブログor旅記録or旅日記)

記憶もおぼろげな微かな記憶を基にガンジガラメの頭を捻ったり叩いたりして絞り出す・・更にはネットサーフィンにて情報を補足して備忘録にしてアップ
記憶力の無い点は仕方ないところだし、考えて見ると他人様に無いユニークな能力??の持ち主と割り切って残りしデジカメ写真を最大限に活用して旅のブログでや旅日記としてアップしています
確かに、たまに自サイトをアクセスして各々の旅のシーンを見て見るとアップされた旅ログの効果は歴然です
昔は白黒写真でしか・・それも今は全く無し・・
長いこと四国サイクリングでの室戸岬や足摺岬の白黒写真も整理出来ず無造作にでは有ったが一応保存していた
思い起こすと、父親や祖父の戦前の古い写真はアルバムで見たことか有ったが自身の古き写真は・・
一番古いのは、小学入学直前?だったか亡くなった祖父の葬式の最前列にて一升瓶に添えられた花を持ってお墓へ・・の一枚
次は中学に入ってからの写真しか記憶に無い
戦後早々の生まれ、戦後は沖縄県と同様にアメリカ軍の統治下で物資不足、加えて産めよ増やせよ?の時代背景に兼業農家とは言え、質量ともに大家族を養うに耐える本格的な農業も・・
とても記念写真を撮る状況では無かったんでしょう

二期作の稲作、サトウキビ、サツマイモ、大根、胡瓜、なすび、落花生、人参、ネギ、白菜、キャベツ、瓜、ニガウリ、里芋、生姜・・

スイカ、バナナ、トマト、苺、少しばかりのパイナップル・パパイヤ・・

蚕に桑、豚、ニワトリ・・
海ではアオサ

そう言えば、鎌での稲刈り・サトウキビ伐採・草取りに足踏式脱穀機
平や三股での畑や水田耕しや斧での薪割り等、小さな些細な思い出が懐かしい

何時かは小さな菜園でも出来たら・・


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サトウキビ担ぎ、飲み水・五右衛門風呂水を天秤棒で。カマド にハガマ、プロパンガス・薪

幼い時から小柄で華奢な体格だった
特に運動・スポーツの類いとは無縁の人生
それでもココまで来たもんだ
中学校3校目、生家に戻り祖母との生活も有った。
集落の地区別の駅伝大会に合わせて数日の練習の後、いざ本番
競走なんて初めて、ペース配分なんて分かりっこ無いものだからスタート早々は行けた
応援を受けて力以上・実力以上の走りでスグにエンスト気味となった
世の中、上手い具合に行かないもんだ。
そんなに甘くはないぞ!知りたまえと知らされた

高校時代、最初の長距離(10Km位?)の行事が有った。
全く走ったこと無いのにソコソコの順位で自分でもビックリ・・何より、その距離を走れたことが不思議だったナァ
と言っていると翌年は順位を2倍以上の位置に落とした・・ソレッ、見たことか
尚、3年目は覚えが無い
受験を控えているとかで免除だったんだろうか
或いは天文学的な順位ゆえ自分で記憶から永久追放処分にしたのだろうか

親元は離れていたが叔母家族は近くに
また親戚のサトウキビの収穫の手伝いもしたり
サトウキビを束ねて担いで運ぶに肩にくい込んで痛いのでタオルで肩にあてて凌いだりしたもの

少し遡り、最初の中学校は生家の有る島(徳之島)のスグ北の島(奄美大島) の、当時は村内全体が陸上の交通機関の無いところでしたネ
今では道路も整備されている?
陸上の交通機関も有るのかも知れない
当時は湾内に点在する小さな集落群をジグザグにポンポン船が寄港して終盤は外海に出る
そして奄美随一の大都会?へと向かったのでゴザイマス
今では陸上交通の便も飛躍的に改善されてのいるにではないでしょうか?
当時は整備の行き届かない雨が降ると泥んこのデコボコ道を幹線道路?では今、希少価値高騰のボンネットバスが・・走っていたんだっけ
何でも新車購入では無く中古バスのオンパレード
あの道路状況では新車投入しても1日で半値評価に落とされるでしょうネ
本当の話、小生自身2〜3回はバスを下りてぬかるみに嵌まったバスを押したことが有ります・・
男性は大人に混じり生徒も。
小学高学年〜中学低学年まで、父親の赴任先で借家住まい。80戸くらいの小さな集落でした
いつの日か?初めて化石燃料に分類されるプロパンガスが我が家に入って来ました。
大家族も数ヶ所に分散、既に5人に急減していた
でも小さなボンベでは足らない。あくまでも燃料のメインは薪なんです。
土で型どり固めた昔ながらの竈(かまど)に薪をくべる。 勿論、五右衛門風呂の燃料も薪がすべて
当時、何となく興味をもって見ていたモノが有ります・・
飯を炊く際は、例のカマドに載せた羽釜を使うのですが木製の厚く重たい蓋を被せる訳ですが・・何故かゴム製?樹脂製?のホースらしき部品をハガマと蓋との隙間に挟んだら、美味しいご飯が炊けると売り込まれたのか・・一時期見かけた
因みに富士山頂では気圧が低くて沸点が低いゆえ半煮え?半炊き?のご飯いになるらしい
そう言えばシンプルな方式の圧力鍋が我が家にやって来たのもこの頃だった
先程のホース状のパッキンも羽釜と木製のハガマ蓋との密閉度を高めて蒸気漏れを防ぐ意味合いが有るとの触れ込みのせいか
実際にはスグに消え失せた。面倒な割には美味しいご飯には目立つ効果は無かったはず
兎に角、部分的補助的とは言えプロパンガスの登場は我が家始まって依頼の文明開化の印なのです
恐らく、そのプロパンガスのボンベは遠く離れた湾外の大都市?(今の奄美市)からポンポン船で運ばれて来たものでしょう
この時点では未だに水道は無し、井戸も無し
従い恐らくは300メートルほど離れて無いがいたで有ろう湧水の水汲み場が有った。
父親は仕事で家の作業などする余裕は全く無し、母親は家事の合間に本場大島紬の機織りに精を出す
せめて出来ることは水汲みくらいだった
体格面では全く自信無くとも天秤棒の前後にバケツを架けてバランスとりながら溢さぬよう気を配りながら運んだ
回数を1回増やして頑張ると喜んでくれた
五右衛門風呂を沸かす回数も最小限、何故なら風呂釜と予備にバケツ2杯分の水も外から組んで来ないと・・
飲み水の汲み場よりは近いところを川が流れていた
水量も豊かで何より透き通った流れの川水です
先程登場した天秤棒でバケツ2杯ずつ4回ほど往復したのではないでしょうか

そして中学校2校目では又しても小さな集落での生活でした
水汲みの経験は無し・・簡易水道が来ていた?
記憶がハッキリしない
この時、初めて黒電話が我が家にも・・第2の文明開化の到来でした・・自宅から電話架けられるなんて・・
でも電話をかけることなんて無かったと思う
僅か一学期間で後にして親元離れて生家にて祖母との二人暮らし・・3校目へ

自身の備忘録として綴っております
コンテンツ量も考慮して、冗長な思い出を書き記してアップ、単語・語句を散りばめて・・
検索にキャッチされん事を期待しつつ長々と

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愛知県 知多半島の篠島、岡山県備前市 日生諸島の鹿久居島、三重県鳥羽市の答志島。離れ小島の雰囲気・風情が

離れ小島にての家族・職場・グループでのレクリエーションや泊り旅行はイイでしょうね
周囲を海に囲まれて島情緒・小島風情を満喫しながら・・
小生は元々、島生まれの島育ち・・それも二つの島の4カ所の市町村で過ごしたせいか田舎っぺ丸出し・オノボリさん丸出し
ただ田舎暮らしが長かったとほ言え、何処も中途半端な年数だったし積極的な方では無かったので会話も少なく、各集落での独特の方言を自在に会話出来る段階までは行かなかった
転校先では所謂”標準語”(なまり強し)の使用が殆どでしたので、ちゃんとした方言は習得?出来ておりません
生まれ故郷で小3まで、また中2途中から戻り、奄美群島での生活は最も長いが閉じられた生活に近く、其処の方言すら満足に出来ない
同窓会で同窓生の面々と顔を会わせても話しかける言葉が、どうしてもヨソ行きの表現に・・・やっと出て来た方言で気恥ずかしくもなる

また奄美諸島では小学校入学直前まで米軍の統治下から日本へ復帰したことも有ったのか学校では”標準語”による話し方が強調されていたような感じが思い出されます
でも同窓会で会う同窓生の話し方は田舎の訛りのある話し方そのもの
当方も同じとは言え、宙ぶらりんの中での各集落で煮え切らない方言での会話だった故、同窓生とも大きく異なる自己流訛りだと自負?したり

沖縄県近く、奄美諸島を離れて幾久しい

その後、四国・淡路島・小豆島、更には江の島・城ヶ島・天橋立などサイクリングしました・・島の形や名前は有っても実際に離れた小島とは言えるかどうか?

訪れた訳では有りませんが、あまりの懐かしさから当グループサイトの複数個所で勝手にリンクを張りました


愛知県・知多半島【篠島の旅館】あさひの宿 あつ美やマリンパークホテル

愛知県 知多半島 篠島 は昔、職場旅行で訪れた
岡山県備前市 日生諸島の鹿久居島
三重県鳥羽市 答志島 に通じる小島なんでは・・・

職場旅行で三重県鳥羽市の答志島へ。いつかは岡山県備前市、日生諸島の鹿久居島へミカン狩り

自転車のブレーキ音鳴りが気になり下り坂で自力・自足ブレー キ操作?内出血・痛みの後も後遺症は止まぬ

先日、買い換えた自転車・・これからもサイクリングにも使うことになります
と言っても大部分は日常使用ゆえバケットが必要となります
従い、今回も迷わずにママチャリなんです
サイクリング車では荷物運びは苦手だろうし値段も張るしなぁ〜
乗ってみて軽快感は有ります・・
ただ一点、不快な点が・・
乗り初めた時点から、最初の前ブレーキ操作の時点でギーギーと不快なイヤな音を発する
その内、自然と調整され治まるかと思いながら漕いで来たが一向に治らない
今さら、購入店に持ち込んでもラチがあかない
大量販売するホームセンターゆえ修理部門は無さそう・・もう数日経っているし・・

ところで前任者?は余るほどの功労者?なり
4年以上も仕えて?くれたので・・
色々部品交換・調整やパンク修理などの手当てはした
ある時、ブレーキ時の音が大きく修理に出した
ディスク式ブレーキの後ブレーキの音は交換しないと駄目と相成りました・・諦めて使い続けることに
前ブレーキのイヤなギーギー音はパッド自体はそれほど消耗して無いし調整で直るとのこと
何やら向きや傾きを調整して見事治った!
イヤなギーギー、キーキーが消えた
いやぁ〜さすがベテランの自転車屋さんです
状況・症状を的確によめるんですネ
ホームセンターの自転車売場ではこの処置は出来ないでしょう。 せめて正常に使える状態で販売してくれたら・・
先の微妙な調整が必要な前ブレーキの取り付けが販売現場で必要なら難しい話なのかも・・
買ってすぐに先程の自転車屋さんに持ち込むのもチョッとねぇ〜
その自転車屋以外で買って修理・調整だけ我が店に持ち込むとはなんたることじゃ?
そんな買い物感覚なら後回しじゃ・・と

実は時が経つにつれ治らぬ後遺症に・・
左手親指と右足親指に異様な現象が・・待てど酷くなって来た
先の自転車、購入して数ヶ月あとディスク式後輪ブレーキがキーキーと音を出す様になった
支障無い範囲で前ブレーキを多用する様にしていた
今度は前ブレーキがギーギーと鳴り出した
数日早く修理に出せば良かった! 後悔先に立たず・・タイミング見てと先延ばしにしていたのが・・
工事現場へ自転車で通っていました
さて仕事が終わり現場から帰る際にアクシデント発生
現場からはスグに下り坂、通常のブレーキはの効き具合なら何とも無い
それまで何回もブレーキ操作しているし・・但し、前から音が鳴る後輪ブレーキは控え目に前輪ブレーキをメインで・・
その時は多用していた前ブレーキも消耗が激しかった見たいで坂道を下るには鳴る
前後輪とも音が鳴る状態だった
現場近くゆえ周辺住民への迷惑を感じとり極力思い切ったブレーキはかけれなかった
いいいよスピードが増して行く
先にはソコソコの交通量の有る道路が・・
もうブレーキだけでは危ない!
咄嗟にスピードを出して下り進む自転車から飛び降りた
左足、右足、左足、右足・・トントンと強く地面に打ちながら・・・自転車は止めることは出来ました
翌日からだったか何時からだったか・・
痛みは酷く・・現場からの帰りに・・座り込んで足を休めてしまう始末
酷かったのは左だったか右だったか?もうハッキリした記憶は無し・・程度の違い有れど両足に負傷
膝(ひざ)から踝(くるぶし)にかけて上下方向に内出血の血の溜まりが見てとれる
1〜3日後位だったか、今度は踝(くるぶし)周辺がどす黒い症状に・・・
ネットで調べてみたら数日後には症状が引くらしい
確かに内出血は消えて行きました

それから3〜4週間後位だったか、数年経っても治らず益々目立つ様な症状が現れたのは。
ネットで見たことが有る様な気がします
臓器系統だったか神経系統だったか何処かで上下部分が左右入れ替わって云々の症状に・・
手足計20本の指の内、左手親指と右足親指が巻き爪と言うのか大きく他の爪と違った形の爪に・・しかも2本の爪そのものが内出血した様な変わりよう・・
あれから数年経つのに明らかな異常は、あの際の強打による以外は考えられない

富士登山して下山時にも負傷して長いこと後遺症に苦しめられたことが有りますが、この後遺症は自然に治癒する気配は有りません
かと言って今更、病院に通ってもねぇ〜

今回の前ブレーキの音鳴りも何れは自転車屋へ行く必要があるかも・・
今回は大事な後ブレーキが音鳴りせずに正常に機能している為、当面は心配も半分なり