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生家は鹿児島県大島郡の徳之島、奄美大島と行き来の繰り返し。ネットサーフィンで目に留まる。徳之島で国産コーヒーの量産化に向け一歩踏み出した!我が消費量僅かでも徳之島表記なら別枠にて

先に、ネットサーフィンしていて「日本経済新聞」サイトにて目に留まった

国産コーヒーの量産化に向け、徳之島・沖縄で一歩踏み出した模様

生家は鹿児島県大島郡の「徳之島」 後に奄美大島徳之島を行ったり来たりの繰り返し・・・

小生にも存在してたらしい”幼少”の頃、生産現場と言えば黒糖つくり

収穫し束ねられたサトウキビを絞り機に通してキビ汁を・・これを洗濯機の敷きパンの少し大き目のパン状にいれて煮沸しつつ要領よく掻き混ぜる・・・草津温泉の「湯もみ」に似た動き?・・・しかしサトウキビを絞った汁は沸騰させると相当な高温になっていたイメージが・・火傷に注意

徐々に黒砂糖の製品に・・・この熱々に注意して香ばしい断片を口に出来たは黒糖生産現場で食する者の特権・・・冴えない小生にも特権待遇の一瞬・・・子供ながらに味見する機会が与えられました

このサトウキビを絞る器具の回転力にが頑張っているのを生家のスグ近くで見た記憶が有った・・しかしスグに新たな時代へ・・・

やがて離れた場所に資本力がやって来た・・・本格的な製糖工場の進出、収穫されたサトウキビの束をトラックに積んで製糖工場へ
一度、その工場見学に参加したことがあり・・工場とはスゴイもの

他には生産工場と言えるは近くの集落に焼酎工場が有るくらい
一つだけ何時しか砂糖豆菓子「ガジャ豆」など黒糖商品を作って販売する業者が近くに現れた・・・結構、長く続いていた様子・・・今でも?

さて小学校・中学校を転々として3校目の中学校は生家に戻り、祖母との二人暮らし・・・にて

先の記事にて投稿者本人(小生)はスポーツ音痴・スポーツには縁遠い存在と白状しましたが先日、京都で行われた高校駅伝とはレベルが100段階も違う集落の地区対抗の駅伝に出たことが有ったなぁ~

何回かは事前に体を動かそうとしたような・・・でも、ぶっつけ本番で!
ランニングなんて全くの素人?ゆえに走り方が分からない。
自己運動能力もペース配分も分からない・・・担当区間では勢いで一人くらいは追い越したと思うも、後に3~4人?4~5人に追い越された次第・・・現実は然り

高校でも2年間は、ぶっつけ本番で10Kmほどを一応完走出来た

他人様と違い”完走”の値打ちも10倍ほどかも

ここまで、まとまりの無いことダラダラと・・・実は種明かし・・・文才なき者が意味不明の行数を・・・ある面でコンテンツ量を確保したい一面もあり


中学2年生の時、集落内地区の子供会?生徒会?の運営費獲得の為に少々離れた場所のパイナップル農場の開墾作業に駆り出される

未だ石ころ ばかりの山肌から石ころを除去する作業だった?
手間賃を直接に受け取る訳では無かったが聞いた話、一日間(何時間だったろう?)の手当ては3年生=200円、2年生=180円、1年生=160円とか・・・時給では有りません・・・日給の話

当時の田舎には生徒向けのアルバイトなんて無かったと思う。
ちょっと待った! 中学軟式野球チームの投手では徳之島全島一のスポーツ万能の同級生がいましたね

今は徳之島も道路整備がなされて様変わりらしいですが、当時は時々貨物船が沖合に停泊・・・桟橋との間は伝馬船(てんません)の往復で荷物の積み下ろしを・・・沖仲仕(おきなかし)が重労働を担ってました

例のガッシリした体格で運動能力随一の同級生は、沖仲仕(おきなかし)の大人たちからも一目置かれていたハズ

当時、受動的なアルバイトながら一日180円とは雲泥の差の労賃をもらえていたとか聞いたことが・・・

さて先程のパイナップル農場の話は、その後一切聞かれず・・・

酒造メーカーや製糖メーカーは頑張っているようです・・島の特産品

残念なのは母や叔母が織っていた「本場大島紬」が、一時期は紬の機織り工場も各地に出来て隆盛を極めた様でも有りましたが安価な外国産紬の進出や和装文化の市場縮小で尻すぼみ状態に。


遂に微かな光が・・・大きく育って欲しい

徳之島で国産コーヒーの量産化に向け一歩動き出した由

頑張ろう! 陰ながら応援!

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