「懐かしき想い出・思い出」カテゴリーアーカイブ
デジカメの高性能化に少しばかり逆らってみたい!編集して解像度を落とした訳でない十数年前のスッピンの240×320ピクセル4枚
撮影時間は23:45・・そうか確か職場旅行のホテル(軽井沢)にて
勤務先で福利厚生用保養施設に契約のホテルで。解像度240×320、白黒写真。今のデジカメ機能付きガラケー
上の2枚の撮影場所は確からしさ40%くらい・・間違い探しの人出現?
恐らくは埼玉県川島町の「遠山記念館」だったんでは?
十数年前、勿論のことデジカメ機能付きのスマホ(スマートフォン)の登場はマダマダでゴザイマシタ!
写真撮影に使用した機種は KDDI-SA W21SA
どうも三洋電機製のKDDIの携帯電話
デジカメ(ディジタルカメラ)でなくて携帯電話にデジカメ機能がついているのがスゴイ凄い!と感心したり・・
3枚は取り始めて慣れたころの写真
この機種の携帯を購入して最初か2枚目か3枚目かになる記念すべき写真は次の写真で~す。 お見知り置きくださ~い
本当に撮れるか不安ながら構えるのが恥ずかしくもあった
ちゃんと撮影出来たときは嬉しかったねぇ~ 埼玉県内にて
大規模集積回路(LSI)・集積回路(IC)・電界効果トランジスタ(MOS-FET)の若干の思い出、投稿記事本文より再掲・・懐かし工場実習
阪神(神戸の中突堤発着)と沖縄間航海の貨客船の黒潮丸・浮島丸(奄美大島・徳之島・沖永良部島・与論島を経由)、それに金十丸
上の過去記事の本文をここに再掲します・・・
むかし昔、中学生の頃、半世紀前のことです。 それは世間の殆ど全ての人がスマートフォンの出現を予想していない時代の話しでございます。
と申しますのはスマートフォンのハードウェアを構成・実現するにはトランジスタの大規模集積回路(IC)が必要でしょうから・・・
その後、バイポーラICではTI、NS、モトローラなどアメリカ勢が圧倒的な存在となったと思います。
学生時代の工場実習で某電機メーカーにお世話になり電界効果トランジスタ(FET)によるICの実装実験の現場で実習させてもらったことが有ります。
その後、実用化が実現し集積度が大規模化・・超が付くほどです。
おっと話は、その頃の別の話し・・・
当時、阪神(神戸の中突堤発着)と沖縄間航海の貨客船として「黒潮丸」「浮島丸」が就航していた。 奄美大島・徳之島・沖永良部島・与論島を経由。
事情があって中学2年の途中から年老いた祖母一人住む生家の徳之島へ奄美大島から戻った。
当時、不定期ながら先程の黒潮丸・浮島丸ほどではないが「金十丸(かなとまる)」と言う貨物船が小さな集落の港の沖合に錨をおろしていた。
先程の貨客船での船旅には島一番の港までデコボコ道を故障気味のレトロなボンネットバスで行くのが普通も貨物の輸送には船便の需要が有ったんでしょう。
大人顔負けの体力を持つ同級生は冲仲士で羨むほどのアルバイト代だったみたい。
(また脱線ですが・・離れた所でパイナップル農園の開墾作業に生徒会で参加した際のアルバイト代は中学2年生は1日分180円だったハズ・・地区分団費に充当)
体力では真逆のひ弱な栄養失調気味の・・・誰でしょう?
何度か一緒に海で泳いだ。 珊瑚礁の海側の端では凪いでいても押し寄せたり引いたりの潮の流れで危ない。 尖がったサンゴの多数の角で切り傷、或は出っ張ったサンゴ岩の下へ吸い込まれそう・・海藻類が蠢いていてコワーイ。
バタバタしつつ潮の流れをよんで潮にのって何とか・・・もう一つ、妙に落ち着かなく不気味な感じがしたのは先程の「金十丸」の船首の錨のすぐ近くを泳いだ時のこと。 間近で上下する波に浮かぶ船首・・慣れたひとには気持ち良くとも。
沖合近くまで行かずとも潮溜まりにて小魚釣り・エビ・ウニ・アオサ獲り等・・・
思えば学生時代の工場実習、指導役の社員の方のボーナス支給日に福生市まで出向き御馳走に
上の過去記事の本文をここに再掲します・・・
日本国内の電機業界は一時の輝き・勢いを失いつつ有ります。
以前はそのような状況になるなんて思いもつかなかった。
他人事とは思えません。
現状だけで無く近い将来も他国、特に周辺のアジア諸国との経済環境や勢いの違いから置かれた環境には先々難しい状況が
過去の或る時期には日本の産業パワーが欧米の産業を席巻したのでは?
国内の電機企業の多くは業績に四苦八苦しているようですネ
総じて国内外でインフラ関連を抱える重電・電機メーカーは堅実に
弱電・電子・通信の電気メーカーは海外メーカーとの技術力・コスト力面での競争力縮小・逆転で大変みたい。
技術の移転、人件費負担、実質市場規模の変化そしてディジタル製品のコモディティ化の拡大が大きく影響か
思えば学生時代の工場実習、夏休みの期間中に1か月半近く東京都青梅市内のT社にお世話になりました。
当時と比べると雲泥の差、ICの集積度が何桁も増して来ましたが集積段階の誕生時期の研究部署にて
現在はコスト競争力から全く影響力を潜めている電機関連企業の中で、当時お世話になったこの企業は現時点でも関連会社を通じて勢いを保っています。
頑張っている、その企業を陰ながら応援していきます。
当時は夏のボーナスシーズン、指導役の社員の方のボーナス支給日に福生市まで出向き御馳走して頂いたのが懐かしい。
その後、直接にお世話になったM社(後にP社に)及び後にコンピュータ関連でお世話になるF社、M社、N社、O社
頑張って下さい。 当方も頑張らないと (ウェブ担当)
環境様変わりの電機業界、思い出多いだけに陰ながら応援しています
半世紀近く前に工場見学や工場実習でお世話になったアノ会社が・・?あの工場近くの商店街が・・?懐かしい集積回路の思い出
日本有数の電機メーカー「東芝」が幾分、苦境に立たされているらしい
長年にわたり日本の電機業界のみならず産業界全体で見てもリーディングカンパニーであったことは事実であろう
大物財界人を輩出した点でも有名で一目おかれた企業であった
一時期は家電業界に比べて重電部門を抱える総合電機メーカーの地盤沈下も囁かれる中、韓国・中国勢による弱電・半導体・通信機器への進出に競争力を失いつつあった家電メーカーに比べて競争力を維持した重電メーカーの一角であった?である!
その技術力に魅かれ、後のノートブックパソコン・サイズの「ワープロ ルポ」を購入したことが有りました
パソコンの購入は何世代も富士通製FMVだったが、東芝のノートブック「ダイナブック」は憧れの製品だった・・ご予算?がイヤイヤして・・
実は内外?(実習・就職・客先)両面で電機・電気メーカーの数社にお世話になりました。 半世紀ほど前は学生時代をおくる。
カリキュラムに工場見学があった!
記憶の点で間違いは無いと思いますが京都市の重電メーカー「日新電機」、川崎市の電子計算機メーカー「富士通」、日立市の総合電機メーカー「日立の研究所」、もう一つが府中市の総合電機メーカー「東芝」・・その後に世間を驚かすことになった”3億円事件”の府中工場だったと思う~工場内に線路が敷かれていたような・・
カリキュラムに工場実習があった!
実習先は東芝の青梅工場、当初一か月間の予定が2週間近く延長してお世話になりました
今ではあらゆる分野の電子機器・通信機器に使われ絶大な貢献?をしている集積回路(IC)、当時のICの先端技術の勃興期の頃でMOS-FETの集積化の初期の初期であった
数個の電界効果トランジスタで構成した集積度の実験手伝いだった・・工場内には先端の電子計算機(コンピュータ)が並んでいたなぁ~
かなり前のブログにも記しましたが、時期は夏で指導担当の若手技術者の方のボーナス支給日には離れたところの居酒屋さんで御馳走になったり・・
大勢の大所帯だった東芝の青梅工場が閉鎖? 近隣の商店街の悩みも大きいことでしょう
企業城下町に近い雰囲気も有ったでしょうに・・
懐かしいが故に非常に残念です。
実は次のブログ記事の中では下記(抜粋)の如く綴っています。
思えば学生時代の工場実習、指導役の社員の方のボーナス支給日に福生市まで出向き御馳走に
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現在はコスト競争力から全く影響力を潜めている電機関連企業の中で、当時お世話になったこの企業は現時点でも関連会社を通じて勢いを保っています。
頑張っている、その企業を陰ながら応援していきます。
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頑張っていると思えた。 これからも何時の日か往時の勢いを取り戻して欲しい
色んな業界で「選択と集中」、事業分野の縮小・拡大の組替えがなされています
当時としては圧倒的なコスト競争力・地球温暖化防止の切り札・発展途上国を中心とした電源需要に対応すべく原子力発電事業に大きく軸足を移したことでしょう
小生も一昔前に工場実習でお世話になったし、また各面での需要も垣間見えたし”さすが東芝“の感がして期待していました。
本来のコスト競争力は表面的・顕在的?なものの他、潜在的なより大きな安全コスト増や需要の落込みを・・
過酷な試練が待っていようとは・・まさかの「東日本大震災」が発生しようとは・・未曽有の大災害が・・
大混乱・事業収支見込の難しさ・市場性からか会計上の・・
確かに大変な事態だとは察しますが事業構造を整えて
再び「TOSHIBA」を!
阪神(神戸の中突堤発着)と沖縄間航海の貨客船の黒潮丸・浮島丸(奄美大島・徳之島・沖永良部島・与論島を経由)、それに金十丸
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むかし昔、素潜りで貝を獲って食べた記憶が有ります。その貝の名は「ティラジャ」面白いほど獲れて美味しかった。缶詰の空缶に入れて。ネット検索で「ティラザ」で出る
むかし昔、素潜りで貝を獲って食べた記憶が有ります
その貝の名は「ティラジャ」
面白いほど獲れて美味しかった。 缶詰の空缶に入れて・・
奄美大島・徳之島・喜界島・沖永良部島・与論島・・・奄美群島(奄美諸島)の中、小学校入学は徳之島、中学校卒業も徳之島
別に奄美大島の2町村で中学校、高校は名瀬市(現、奄美市)にて
引込み思案とは言え少しばかりは思い出作り?幾つかずつは・・
通算で3校・・すべて小規模の中学校、最初は小学校卒業と同じ学区内
小学校や中学校の周辺で目立った記憶・・・有るの?
小学校の校庭の海側を囲むように桜の木が・・・
桜の花は勿論、サクランボが多くとれた。 採ってよく食べたものです
メジロが集まって来た。 ハエ取り紙のモチを竹竿の先端付近に塗り捕獲を試みたもの・・・自分は不器用ゆえ2~3羽くらいしか成功して無いのでは・・・竹製の鳥籠を買ったなぁ~
当時は島中、大小の鳴き声大会(メジロ)が催されていましたネ
鳥カゴのメジロを手なづけようと、蚊帳のなかで訓練?し始めたり・・
三日坊主と言うより二日坊主くらいかもネ
そこの集落の小学校横の川には大きなボラがわんさか・・・
何故か皆、ボラを釣ろうとはせなんだ・・
大体はカツオかトビウオが食卓に・・・鰹節も・・・
先程の「ティラジャ」、そこの集落では海辺でよく獲れた
素潜りが不得手な小生でも、意を決してソコソコ潜ると面白いほど獲れた・・不思議なくらい
生れ故郷の集落ではハマグリくらいしか食用貝は獲ってなかったので異様な感覚も美味しかったし面白いほど獲れたもの
素潜り上手な人には言うこと無しでしょう
今、ネット検索してみたら確かに「ティラザ貝」で出てきますネ
あれは幻では無かったんだ! 天然ボケも若干救われそう