「懐かしき想い出・思い出」カテゴリーアーカイブ

徳之島の生家近くで今ではタンカン栽培が。奄美大島では柑橘類も。桑の木・蚕・繭・生糸・本場大島紬

徳之島(鹿児島県大島郡)の生家近くでは今は「タンカン」が結構、栽培されている由
幼い頃は柑橘類は殆ど無かったと思う。
家でも種々の野菜やサトウキビに稲作はソコソコの量で農作業が有りました
果物と言えば、バナナにスイカそれに庭に2・3本のパパイヤの木・バンシロウ ザクロ1本が・・
自宅に隣接の畑にミカンの苗木とパイナップルの植え付けが一時有ったのは記憶に有りますが、収穫して食べた記憶は無いですね
他の作物、考えて見るに生育が早くてスグに降りて食材として利用出来る野菜類が殆どです
量的に頻度的には少ないものの比較的に味を楽しめたのは隣接の畑の周りに植えられていた桑の木の実
と庭に有った井戸をL字形に囲む形で植えられていた槙の木の実
桑の木は昔、母親が子育て・農作業の傍ら、本場大島紬を織っていました
その織糸の材料にとカイコを桑の木の葉っぱをムシロに敷き詰め飼っていました
当時は大家族ゆえに大きなカマドに大きなナベで料理していた
時期を見て蚕がつくる繭(まゆ)を其の大きな鍋の中の熱湯にて煮沸していた
後で天井から吊り下げた針金風だったかを通して生糸を取り出していました
後で機織り機にて織る際に上下の生糸の間に横糸を左右に往復させて挟み通す・・何て言う器具だったか呼び名は知らないが、其の中の小さな竹筒に生糸を巻いていた様に思う。

何時の頃か島ブームとなり本場大島紬もブームとなり奄美群島では数少ない産業へと育って行く
しかしながら着物の需要が減り、一方では低コストの韓国産紬の登場もあって産業としては下火となって行きました
大家族、多くの仕送り先が有り母親は其の後ともずと小さな借家・紬工場近くの社宅・自宅の何れも狭っ苦しい部屋に機織り機を詰めるように置いて昼夜、カッタン・コットンと織り音を立てていた
普通ならうるさく感じられたで有ろう機織りの音
生活の為の光景ゆえ慣れていたもの

槙の実、熟れて行くにつれ木の実の色付きが日を追う毎に変化して行く
油断していたらスズメやらの小動物にさらわれる
まぁ、食べ物と言うより物珍しさからの食の旅?

奄美大島も3ヶ所で住んでいたことが・・
さくらんぼ、みかん、すもも・・
集落によっては柑橘類も・・・

「富士登山ネット」「富士登山net」で検索、出て来た。現れた!思い出多し、写真多し。サイト・ページ・投稿記事多し。検索結果も納得

富士登山ネット」
または
富士登山net
で検索して見たら、出て来た。現れた!
つい先程の検索結果なんですが一人応援、精一杯にするから当分落ちずに位置をキープしていてネ
励みになるからね
今開催中のオリンピックで世界の頂点に立つ選手達
金・銀・銅でなくとも第一万位でも凄いと思う
小生なんてオリンピック競技なら世界人口が数十億人中、ブービー賞は間違いない
まだ賞を頂ける分、凄いではないか
色は何色かなぁ?ブービー賞って。似合うと思う。

出来たら、体調が普通なら、天気次第だが、気が向けば、気力次第だが・・
富士山麓の登山口近くまで行き仮眠するも、前夜のガソリンスタンド探しを必死になり疲れきったみたい
目を覚ましたら、かなり明るい
大変なことになってしまったと・・
・・・・・

登山前夜の一人ガス欠騒動、富士山頂の火口周り一周「お鉢めぐり」、下山途中での足の負傷そして痛みに堪えながらの必死&決死の暗夜行路?アイタタ、更には事無きで済むも人生最大のアクシデントを体験

一般の登山客が通常は体験されない予想外の出来事の連続・・杖無き軽装での富士登山自体・・富士山はお許しにならないところでしょう

富士山山頂を目指しての富士登山、軽装故に下山途中まではすこぶる快調に進む
デジカメで写真も撮りまくった。
下山時にデジカメのバッテリー残量が残り僅かに
撮影する枚数も少な目に・・
いざバッテリー切れになればスマホ無き当時はガラケーにて撮ろうかと考えていたが出番が無くなった

その頃から足に痛みが・・終いには歩けなくなった
ガラケーでの撮影なんて余裕は全く無し
従い、その時点から下山後に仮眠をとった「道の駅 ふじおやま」で一夜を明かすまで写真は皆無
車中泊の際にシガーライターに接続の充電器よりディジタルカメラに充電して・・

砂走り」と言われる下山コース
軽装とは言え杖無し、シューズにて流れ落ちる砂地を両足とも足指の付け根部位を九の字形に折り曲げ下る体重を変形に支える。
何時もの歩行時には無い負担が長時間かかった
・・・・・
そこからが、更に人生で一番?に過酷な状況下での五号目までの下山が続くことに
後遺症が長いこと痛みとなって続いた

更に、正直に申して本当に人生最大のアクシデント
夢の中では決して無い一瞬の体験、ほんの一瞬の事ゆえ何も出来ない・・このまま行ってしまう・・の様な感覚を感じつつ・・ホンの少しだけ色々な条件・反射的な動作の諸々の組合せが狂っていたら・・・ゾッとします
一瞬の事ゆえ当時のイメージは殆ど刻まれていません
既に暗くなり、急にフロントガラスが曇り出しての下り坂の急カーブ。例の足の負傷で足の操作感もいつもとは違っていた?
全体的に体調が芳しく無かったかも・・
不思議に、不思議だった。
記事を目立たせようと少々オーバーな表現を記すことも冗長に記すことも多々有りますが、
此ればかりは自身にとって本当に奇跡的な一瞬!
大事に至らずに済んで今の自分が有ると感じています。
(後で当時の様子を綴った記事へのリンク追加予定)
下記サイト・ページは写真多し、データ通信量に御留意ください


富士山へ須走ルートで登山(富士登山)での出来事 その一( ~ 五)


富士登山 (富士山) 2009-08-12 その1 (前半)

富士登山 (富士山) 2009-08-12 その2
(後半)

お鉢巡り、富士山の火口周り(お鉢めぐり)


富士登山_20090812 タイム・チャート(スケジュール)


色々な出来事が有った富士登山、前後のアクシデントを記してホームページサイトやブログサイトにアップロードしました
振り返ってみるとガス欠恐怖感のストレス、足の負傷、不意で最大のアクシデント、後遺症など有る中での富士登山・お鉢巡り の体験
それに多くの写真が有ります。
「富士登山」専用サイトや「写真アルバム」サイトへの写真アルバム・ページのアップロードなど時間・コストを費やしています

これらが今回の検索結果に現れて来たと考えております
と或る時期、関東にて住んでいました。
数十キロ離れた地から、今日は空気も澄んでいて小さくも生の富士山が見える!と感激した日々が思い出される
後に、アノ富士山に実際登った訳です
後に、山頂に立った富士山が世界文化遺産に登録
後に、祝日「山の日」が富士登山に向け富士山麓にいた富士登山前日の8月11日に決定。その初めての「山の日」祝日は3日後です
富士登山の3日前に、何処で何をしていたのだろうか・・知る由は無い

思い出多い「須走ルート」での富士登山は7年前

無謀な自力での「保津川下り」で断念・退散!箇所を小さな鉄橋を渡る列車内から撮るは宝クジ・おみくじ

先日、JR嵯峨野線(山陽本線)の保津峡駅(京都府亀岡市)にて下車し京都府京都市の嵯峨野までハイキングしました
以前にもハイキングした保津川(桂川)沿いに、更には東海自然歩道のコースでも有る清滝川沿いでした

亀岡からJR保津峡駅に向かう途中、トンネルが桂川と交差する箇所が数カ所あって両側に山々に挟まれた短い鉄橋を渡ります
亀岡側から最初の鉄橋です
因縁?思い出?のポイントが一瞬見えて来るのです
いつも思うのですが「アソコだったんだ!」と・・・
無謀なチャレンジで敢え無く退散した場所は!

で、今回も撮りました・・・下の写真

尚、投稿済み記事は次の通りです
保津川下り撮影、保津川・清滝川をハイキング~高血圧予防に。初コー ス有り、渓谷美を楽しむ大勢のハイカー。その零

以前の記事を検索して見ました。
同じポイントを撮影してアップして有ります。
結構ボヤケて撮ってます。 難しいんです。 容易では無い!
だって一瞬のタイミングでターゲットに焦点を合わせる必要が・・・
どうもスマホのデジカメ機能にも真っ暗なトンネルから急に明るくなるのに感度?を合わす時間も必要か?
20分の1くらいの宝クジを引き当てる様な感じですネ
一つ前のスマホだったがカメラ機能には大差なし・・・
撮影の腕前も大差なし・・・
引いた宝クジ・御神籤が偶然に・・大当たり・ハズレ、大吉・??になった感じか・・・
何でボケた写真をアップしたの?
尚、投稿済み記事は次の通りです
何でボケた写真をアップしたの?

(追記)
上の写真には、本家本元の「保津川下り」も映っています
保津川下り 保津川遊船企業組合

京都府亀岡市から古都京都の嵐山・嵯峨野に向かう「保津川下り」と「嵯峨野トロッコ列車」

保津川下り
保津川下り、一艘かと思いきや向こうから・・もう一艘の小舟(遊覧船)が
左側に隠れている嵯峨野トロッコ列車「トロッコ保津峡駅」(次の写真)へ架かる橋の上から・・保津渓谷の風景美を楽しんでいます
嵯峨野トロッコ列車
ちょうど今、トロッコ列車が駅ホームに停車中
これより古都・京都のトロッコ嵐山駅トロッコ嵯峨駅へと向かいます

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