生家は昔、兼業農家で有っても野菜作りの他、稲作も本格的だった
二期作で田植えに稲刈りも年に二回ずつ
人海戦術で行こう!でしたね。
手植えに一束ずつカマにて刈り取って
足踏み式脱穀機に引き込まれない様に気をつけながら・・
浜風にて籾殻を飛ばし、お米をムシロに集めたり
農協経由で納めたり大家族の主食用に庭先に建ってた小さな藁葺き屋根の高床式倉に・・
その小さな蔵の床下部分にはニワトリが数羽
庭にはバナナの木が二~三本、パパイアの木が二本だったか
井戸周りの槙の木の実や隣接の畑の周囲に植えられていた桑ノ木の実を食べたり
貧しい中にも一般的には珍しい生活体験が出来た次第
戦後の米軍統治下より日本復帰なった頃の昔話でした