元々、凝り性・・体質的に・・首こり・肩こり・その他色々こりモノ
今はやりのマッサージメニュー豊富な高価なマッサージ機を買う余裕は無く何度か昔、家に有った中山式快癒器は今も販売されているのだろうかと思ったことが有ります。
然しながら至れり尽くせりメニュー全盛の現在、まさか存在しようとは思わず・・月日は過ぎて行きました。 色々とネット検索はしているので一度検索してみたら良かったものを・・まさか・まさかで今に至る。
数ヶ月前に兄弟宅に寄った際に、ひょんな話しから出てきたのが「中山式快癒器」です。
これです。 これなんです。 半世紀近く、まだ残っていました。 写真をアップ。
金属製でなし重くなく錆びず・・生き延びて来たようです。
首こり・後頭部の痛みが顕著な自分には手軽な快癒器で今後、更に長いこと付き合ってもらいたいものです。快癒器から「もうイイよ」との絶縁状を渡されたら仕方無いですが。
小学6年生前後、亡き父親が使っていたものです。 一応そこそこの責任ある仕事をしていて色々と体調面で大変だったと思います。
子供が多くて全く余裕は無かったんでしょう。 当時は生家とは別の島の小さな集落(80軒ほど)の小さなお店での買い物に買掛帳を利用し給料日に清算している状況でした。
小学生の自分から見ても・・・
快癒器・手掴みの電動マッサージ機・眼鏡・補聴器・タバコの最低限の備えで、あとは学費等だったんでしょう・・
それら全て、もう一つ品質上等の備えが出来れば視聴覚も少しは楽だったんでしょうが・・・
自分に出来ることは、その電動マッサージ機でマッサージしてあげたり肩・背中・腰を踏んであげたり・・飲み水は湧き水・井戸で天秤よろしく担いで汲んだり、風呂水は川から担いだり、煙たがりながら五右衛門風呂を沸かしたり・・・
最近になって父親の形見の「中山式快癒器」が思いがけず手元に・・・
亡き母親は、子育ての傍ら畑仕事の出来ない借家住まいでは本場大島紬を織って家計の足しにしていた。
当時は紬の人気も勢いもあってか、そこそこの収入にはなったハズ。 そうで無いと大家族の生活は成り立たなかったハズ。 機織り機の部品も少しだけ残っているとか、また反物を届けた際の切れ端も・・・ こちらは母親の形見の「手作りの大島紬」
今は和装で紬を着る方も激減、また外国産の安価な紬に席巻され競争力は無くなった。
写真は形見の「中山式快癒器」
因みに懐かしさもあってリンクします
「中山式快癒器」・・・中山式産業株式会社