「悩み」カテゴリーアーカイブ

味噌汁1杯2杯3杯と大好きだった!それが食生活を改めよとの御触れが!最近ベターな味噌汁パック見~つけた

昔は味噌汁が大好きだった。 干潮時、近くの珊瑚礁で採ったアオサ汁を何杯もすすったものです。 今でも味噌汁が好きなのは同じ
ただし今は高血圧症、云々で量を控えざるを得ない。 誰が決めたか?
遂に”塩分相当量”の表示を見る事が多くなりました

最近、個装パック5個入りの味噌汁パック品をもらった。減塩味噌汁とか
塩分相当量1食分が約1g前後の表示
別の味噌汁パックを見たら見た目、同じ量くらいですが約2gほど
今目にしている減塩味噌汁は具が多く充実、しかも塩分がほぼ半分

もらったものですが、お値段的に大きく違わないならコレにしよう
大手メーカー品なので探し回ったら何処かに有ると思う

本気になって??探してみよう!!人生変わるかも!!

黙っていた方が良いのか?でも実害は無さそうだし・・昨日、サイフ(財布)を購入しました

何年ぶりだろうか?財布を買い替えました
本当にボロボロになるまで使っていましたネ
小銭入れ部分の損傷もひどく、止め金具が機能しなくなって来てました
何回か小銭の出し入れの際にポロリ、それを慌てて拾う
レジでの支払い時にも・・慌てたら動作がスムーズに進まず拾っては落とす・・・
ずっと前からでしたが形が正方形に近く、ズボンのポケットへの財布の出し入れがスムーズに出来なかった

今回は、やや長方形・・・ポケットの出し入れは楽そうです
後は中身の増えることを願うばかりです
仮に実現なれば今回の一つで無く、10~20個も買ってあげるかも
月曜日の午前はコレ、木曜日の夜はアレ、お出かけの際はアレコレ

夢物語を語るもストレス解消に役立ちそう

雨模様?曇り模様?昨夜の京都タワー(京都府京都市)は夜景が 浮かび上がる感じ!あの場所で・・

京都タワー
当ブログにて京都タワーは何度か顔を出していると思う。 また昔話になってしまう

父親が亡くなって久しい。 観光客にとっては絶好の観光スポットの一つなんでしょうが・・
実は父親が初めて大病・持病が表面化したのが此の京都タワーのエレベーター使用時のこと
子供が多く両親揃っては勿論、独りでも観光に出かけることはまず無かった
兄弟が実家へ帰省した際に京都見物に連れて行った時の出来事でした
急激な気圧変化などで持病に異常を感じたのだろうか

戦前の奄美では、他の地方でも同じ風潮は有ったと思いますが”産めよ増やせよ”の時代、周囲では兄弟5〜6人は普通でした
我が家では戦後も食料自給の為、田畑を少しずつ買い足して来たらしい
生家で1ダース?を越える家族全員が小さな藁葺き・トタン屋根の下で暮らしていた頃は仕事に子育てで大変だったと思う
兼業農家とは言っても二期作の稲作ほか農作業も結構色々本格的におこなっていた。 元々、農家だし
ニワトリも飼っていた
味噌も手作りで不足分を・・
水道は無く、井戸から竹棒での汲み上げだった

父親の仕事の為、奄美大島に移り住むと借家の敷地内の片隅で僅かな野菜を栽培するのみ
キャベツ・白菜・ネギなど
本土や島内で学生生活を送る兄弟たちへの仕送りで全く余裕が無かったんでしょう
いつも買掛帳で、まとまった米・食料品を買っては給料日払い
母親は本場大島紬の機織りに精をだし家計の足しに

ある時点で辺鄙な農地では資産価値は急速に低下して行くことに。 食生活の変化でお米の需要が減って行く
急速な工業化・工場生産性の大幅な向上・
食材の購買力が高まり農業依存度が低下して行った
兄弟は全員が本土にて暮らし農作業に携わる者は一人もいない
当方も家庭菜園ならいずれ・・の気持ちは有るが。
田舎の田畑は叔父さん宅に譲り渡すも、さて今 農作業を続けているのだろうか・・お年だし・・

親は自分達からすすんで旅行する事は無かったが、ただ一度 父親が自分から「吉野の桜見物」に連れて行って欲しいと言われながら結局、応えられず叶えてあげれなかった
先が短いのを悟り、ただ一度の感がする願い出だったと思うと情けない。 数年前には母親も・・つい先日、墓参りを・・
ずっと徳之島の生家近くに職場が有り農家と見紛うほど兼業の農作業にも精を出していた父親が、初めて島外の奄美大島に赴任する
当方が小学4年の春、業務の引き継ぎや当時の交通事情からか新学期早々、一週間遅れての転校だった
父親の赴任先近く、小学校校庭の周囲には多くの桜の木が・・
花が咲き誇り、青葉がやがて緑一色に・・
さくらんぼ がふんだんに取れたしメジロも・・
今はどうだろうか?
ハエとり紙のモチで・・・メジロの鳥かご にて飼う
大人たちはメジロの鳴き声大会など
生家近くでは見られなかった桜の花は見事なもの
それも有っただろうし、読み物から又人伝吉野の桜への一度は行って見たい、見てみたいの気持ちが沸いて来たのだろう・・母親から何度か聞かされた
父親が吉野へ行きたがっていたと・・自分がその気を無にしてしまった

ところで当方で運営しているブログは幾つか有ります
昔話・思い出等、くどいほど繰り返し記して有りますが・・何故か?分析??してみた割合は

●なにより確かに、くどい=しつこい・・・75%
●直接話せなくとも何時か目にして欲しい人達がいる・・・5%
●ブログのコンテンツ量を確保したい・・・20%

200超えて測れません!の実の血圧値は210・220・230位だった?抜歯跡からの出血止まずのまま半日も手当て出来ない?の不安で

あのケースでの血圧値は実際どの程度だっただろうか
結果的には公立病院の夜間当直医の先生のお世話になり一旦、落着も・・一時は絶望感に近い心境に
大病を患っている訳で無し、また負傷事故を負った訳でもないのに・・でも実態は負傷?で出血が止まらなかった
何となく口の中が粘っこく感じられトイレの鏡で自分の顔を映して見たら唇には血が・・
口の中のものを吐き出したら血がドッと・・
抜歯した歯科医院へ戻ってももう終っている時間、京都駅近くよりティッシュ他で拭いながら帰宅
その際の事の顛末は下記ブログ記事に記しアップして有ります

血圧200超え”測定不能” 上下2本同時抜歯で出血が止まず119番 病院当直外科医の手術ほか

薬局に飛び込みガーゼ購入、薬剤師さんより「何故、止血してもらわなかった」と、近くの病院のインターフォン越しにて断られ
生まれて初めて救急119番に問い合わせるも状況から無理なアドバイスだった。
自由の効かない出血の続く口を拭きながら改めて京都市内へ出向き、大学病院の??センターなら・・でも受付対象かは断定出来ないと。
抜歯した歯科医院の翌朝開院時間までは12時間前後も有る。
止めどなく流れる出血に半ば絶望的な・・たかが歯の治療で万事窮すとは・・!
同じ対応かと懸念しつつ口に血を含みながら自転車で公立病院へ。
保安室で状況を説明して夜間受付を申請、当直医の診察を受ける前に看護師さんが血圧計で何度か血圧測定をする。
先生に測定結果を問われ看護師さんが発した言葉は「200超えて測れません!」
病院のトイレで用を足したら何と血で赤く染まった尿が・・
降下剤の服用、注射、点滴で止血の手当てをしてもらいながら暫し休息するも相対する上下2本の抜歯跡の1本の出血は止まない。
その箇所は縫う手当て、手術で対処・・当直医の先生は外科医の先生で良かった!
止めどなく流れて来る出血を何とか止めてくれる医療機関を探していたので最後の機会で間にあった次第

抜歯後の消毒の為、予約済みの歯科医院へ・・前夜の当直医からの信書?を手渡す

その1~2回あとの予約時間に歯科医院へ。いつもと全く様子が異なる
待合室には他の患者さんは一人だけなのに窓口の二人とも顔を合わせようとしない
それまで何度も通院していたし、何時もと違う感じと思いつつ診察券を見せると「今日は入っていません」
予約を「自分で書いたんですか」と・・
仮に間違いだとしても、何用で?とか誰が来院したか確認しようものを二人とも当方から声をかけるまでずっと視線をそらしていた
先生から暗に対応を指示されている様子が察せられたので「結構です」と伝えると「どうしてもと言われるなら診察しますが」のニュアンスの回答
医療機関・担当医との係りには運・不運が・・

あまりの対応に・・備忘録としてブログに改めて投稿する次第です

高血圧 独り言

自由気ままな究極のエコ旅を車中泊で何度も。でも心身とも真逆な境遇の熊本地震の被災地ではエコノミークラス症候群が

九州の熊本・大分地方を広範囲に襲う大地震が・・
痛めつけられた大地・建物に容赦なく畳みかけて来ます
従来の地震は強弱は有っても単発の大きな揺れの後、徐々に弱まりつつ余震が続くケースだったんでは?
今回の熊本地震は大きな地震が広範囲にわたって発生、夫々が又誘発の源に・・。 先ほどは八代地域を震源とする大きな地震も。

望まずしての避難生活、心身ともに大変な一日一日をお過ごしのことでしょう。 何とか乗り切って欲しいものです。
報道では「エコノミークラス症候群」を患う方もおられるとか
例えば色々な事情で狭い車内での「車中泊」・・で一夜、否 先が見えず
今の今日の明日の・・近い将来・・先々が見通せない不安の中、せめて休息・睡眠ぐらい体を休める場所・スペースが必要なんでしょうが・・
狭い車内では、足を伸ばすことも難しいし身動きもし難い
その硬直した体勢で長時間も・・ストレスの重なりの空間で・・

さて私事で「車中泊」は何度も体験しましたし、ブログでは何回も・・
究極のエコ旅としての無宿の代わりの車中泊でした
多くは各地の「道の駅」、サービスエリア(SA)、パーキングエリア(PA)、ドライブイン、湖畔、買い物ついでに売店の駐車場などで・・
軽自動車の車内で確かに狭く感じ自由に体を動かせなくて大変でした
と言っても、ドライブしていて成り行き任せのコースでの望んでの旅
疲れたら休み道中で、新しいスポットを見つけては寄り道したり・・
臨機応変?自由気ままな旅に「車中泊」は便利・半ば必要な手段だった
体を休める方法は他に色々と出来ましたし・・いい旅、思い出の旅を求めてのこと故、車中泊が苦痛だけでは終わらなかった
多くの旅の楽しみを味わわせてくれた車中泊・・でもネ、この車中泊を被災した自宅の代わりに避難生活拠点にすることは耐えられない
避難生活にはグッスリ睡眠をとる必要が有るハズも現実は真逆な境遇に置かれています

今の群発地震・・兎に角、おさまって下さい