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新規予定サイト、「旅の宿」旅宿~「旅」(旅行・観光・温泉・行楽)で泊る「宿」(旅館・ホテル・民宿) 進捗率10%

先に投稿済み記事
新企画?「旅の宿」関連サイト~個人的サイトも長期戦は覚悟、只今の進捗率は9.9%。一割のレベル近く

前回の進捗率判定時よりコンテンツ面での追加は無いのですが、本人?はアップ目指して継続の意思は有るようです
そこで当判定は公的機関による進捗度判定でも無く、自由裁量OKなる判定チーム?ですので意志を尊重して、ちょうど1割に引き上げました
これを機会に頑張ってくれ!

「旅の宿」旅宿~「旅」(旅行・観光・温泉・行楽)で泊る「宿」(旅館・ホテル・民宿)

・・・新設予定サイトの仮称です

新企画?「旅の宿」関連サイト~個人的サイトも長期戦は覚悟、只今の進捗率は9.9%。一割のレベル近く

前から少しずつ進めています新企画?の「旅の宿」関連サイト
当初から長期戦は覚悟していました。 とは言え個人的な思いの入った個人的に近いサイトを目標にしていますので吟味はソコソコでの構築・公開となります。
ですが公開出来る内容レベルから見て現状の進捗度合は1割未満のところ・・・9.9%程度
先は長い・・でも富士登山も出来た訳だし・・出来るでしょう。

(参考)
フィールド活動中に お聞きした「思い出の地をネットで想う」観点でのサイト構築中、進捗率7.5%?別途パソコン環境も整備

新設(予定)サイト==旅館/ホテル/民宿~「旅」で泊る「宿」==の進捗率5%! リンク先の宿泊施設選定が大変でアップまで長期化

フィールド活動中に お聞きした「思い出の地をネットで想う」観点でのサイト構築中、進捗率7.5%?別途パソコン環境も整備

新たに構築中のサイト(仮称)
「旅の宿」旅宿~「旅」(旅行・観光・温泉・行楽)で泊る「宿」(旅館・ホテル・民宿) の進捗率はざっと見て7.5%くらいでは・・

しかも進捗度合いのスピードが落ちて来ています
当然と言えば然り・・・
数多存在する観光・旅行サイト宿泊サイトさんへのリンク設定がメインとなりますが、無暗にリンクするよりアクセスして何か気になるイイ雰囲気を感じさせるサイトさんを見つける作業・・ネットサーフィン
今回は或る程度のリンク件数になるまで相当の日数・月数を要します

出来たらフィールド営業中に お聞きした「思い出の地をネットで想う」観点でのコーナー・ページも設けてみようかと・・
こちらのページは更に長期にわたって徐々に追加して行くことになります
日本全国には素晴らしい風情の地があり、これら数多の地域・スポットからリンク先をピックアップするのは大変
フィールド活動にて多少でも御縁の有る方々の思い出・想い出・郷愁の念をヒントに場合によってはコメントも・・・

従い、長期戦を覚悟しておかないと・・・


思い切って、外付けHDDに Ubuntu (Linux) をインストールしました
一昔前には比較的簡単に単一のHDDにパーティションを複数区分して表?には当初からのWindows、裏?にはLinuxを入れてデュアルブートを何度も体験して来たものですが・・
PCのハード環境は余裕が出て来ても高性能・高機能なOSではセキュリティ上からか外様?のOSの共存には厳しいみたい
実用・実務面ではWindowsオンリーとは言え、一昔前の体験と近い将来の大きな可能性に魅かれて何度も挑戦・・
ただし折角、長いことチューニングしたり多くのアプリケーションの環境を現時点では趣味的な部類になるLinuxの同一HDDへのインストール
少し、ちょっとでもミスしたら元も子も無くなる危険が・・・

持ち運びやスペース、それに操作感からも一つのパソコン内でWindowsとLinuxの共存共栄?出来たらと・・と思いながら試行錯誤の連続
そこに降って涌いたWindowsの今回のアニバーサリーアップデートで開発者モードでの前提あれどUbuntu が・・オプション機能?で
大いに期待して何度もトライすれど、悉く退けられた・・哀れナリ
他の方が成功して当方では失敗!
やはり環境設定上での不備な点は有ろうとは思いますが、自身で調べて考えられる点については試行済み・・隠れて見えない真の原因が複数あろうとは考えますが、妥当なメッセージが現れない
そこで使い勝手は二の次にして外付けHDDにUbuntuをインストールしました。
記憶から消えていましたが最近、既に外付けHDDへのインストール作業も試行して有りました
その際には上手くいって無かったみたい!記憶が今一つ・・・

今回は外付けHDDへの 「Ubuntu 16.04 LTS」のインストールに成功
続けてソフトのアップデートや追加を行い試用中です
前回は、すでに複数のパーティションに区分けした外付けHDDへのブートローダのインストール先を間違えたみたい
コンピュータに関心を持ち始めて長い!
でもコンピュータ分野は幅広いしハード・ソフトとも日進月歩の世界
しかも膨大なステップのプログラムや多くの手順を要する操作をする中で一つ間違えばエラーになったり違う動作をしたり動かなくなったり・・
その状況下で四苦八苦・試行錯誤を健気に?続ける小生に自分ながら少しは僅かばかりの「ご苦労さん」を言いたい
慰めになっただろうか・・・「有難う」の返事が無い

では、このへんで・・・

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「群馬県 四万温泉 柏屋旅館」さんサイトに「黒電話」の記載あり・・レトロな懐かしき思い出が

当ブログとは姉妹サイトに当たるグループサイトが幾つか有ります
大きく区分すると工務店業務関連のサイト群旅の備忘録的なサイト群、それに雑多な情報を記しアップしているブログ・SNS群です
旅の備忘録的なサイト群の数カ所にて、一昔前に担当していたウェブサイトからリンクをしていたサイトさんへ懐かしさから勝手ながらリンクをしている箇所が有ります
複数サイトなんですが何れも、今世紀に入るか直前だったか?インターネットが一般に普及し始めた頃にホームページからリンク・・していたサイトさんです(今日現在)
その中の一つ、群馬県の四万温泉にある「柏屋旅館」女性に人気のモダンな旅館・・との紹介が・・

群馬県 四万温泉 柏屋旅館
後に四万温泉 柏屋旅館 付近日本ロマンチック街道をドライブした際は懐かしく

ホームページを見ましたら”お部屋に置いてある黒電話“との記載が・・
確かに現在とは多少、時代がかけ離れた感もありガラケーからスマートフォンが普及した昨今ですので黒電話に対する郷愁は有りますネ
ボンネットバスもしかりでは?
何時からか公衆電話の設置台数が激減し、いざ公衆電話ボックスを探そうものなら・・大変な時代になったものです

我が家に黒電話(黒電話に限らず家庭用電話)が入ったは中学2年の頃でした
確かに当時の奄美での電話普及率は低かったと思いますが父親の役職から見て借家にずっと電話は必要だったと子供ながら思ってましたが仕送り先の多さで全く余裕が無かったんでしょう
生家では二期作の米作りに種々の野菜類を大家族総出で栽培して食材にも自給できたんでしょう
島を離れての赴任先では今思い起こすと時代劇に出て来る買掛長を使って米ほか食材を購入していたもの
給料日は先ずはその支払い・数カ所への仕送りと・・大変だった様子
今になって情けないと思うは、クラスの生徒と同じく自転車を買ってくれとダダをこねたり・・したことが。
今では高性能で小型の補聴器も有りますが、当時は片田舎まで出張販売の人から耳の遠くなった父親が説明を受けているのを見たことが
何も無い中で手持ち式の電動マッサージ器を当てたり、背中にのって凝りをほぐしてあげたり・・
高価な器具は買えないからか、当時は「中山式快癒器」を使っていました
数年前にその快癒器を見つけ持ち帰りました・・今から半世紀以上前に父親が使用していた実器です

写真は形見の「中山式快癒器」・・関する記事は下記リンクにて

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つい最近、手元に両親の形見。父親の「中山式快癒器」・母親の「手作りの大島紬」

また脱線・・おっと危ない! 周囲確認良いか? オーライ!

数年、遡ります・・・未だ、1ダース相手には数で勝る大家族全員が一つ屋根の生家で過ごしていた頃に戻ります
小学校入学前後・・入学前?に、それまで先の大戦で敗戦国となった日本から米軍の統治下にあった奄美群島日本に復帰となる
今でも色々と考えるべき点が表面化していますが、沖縄地方に米軍基地が集中して配備されてスグ北隣りの奄美地方での軍事面での利用価値が低かったのか一足早く日本へ返還されて復帰となる
その際には今でも覚えていますが米軍発行の一円軍票・・正方形に近かったかなぁ~・・を自宅近くの郵便局にて日本の一円札に交換してもらった
当時は一円で結構、大きなアメ玉が買えたもの

米軍統治下から日本への復帰がなった前か後か定かな記憶に無いが当時、姉が電話交換手をしていた
田舎では電話交換を郵便局で行ってました。一度、郵便局で交換機を操る様子を見たことが有ります。
既に電電公社傘下だったか米軍の管轄下だったかは不詳
交換機は昔のクロスバ交換機、今から思うと相当に太いケーブルの先端に有るプラグを回線接続の相手先ソケットに差し込んだり抜いたり・・で電話の通信回路を接続確保していたみたい
徳之島から本土へ電話をかける際は、先ず交換手(姉もその一人)に依頼し、通話先の方が連絡を受けてスタンバイ状態になって改めて・・
つなぎます」・・とかの合図で回線接続し通話開始の段取りだったんでは?何となく20~30分から1時間ほど通話前の待機時間が有ったのでは?
限られた通話回線の確保と通話先の方への連絡時間・不在時など・・要したのでは?

当時は電気料金も相当に高かったみたい。後に島内の発電所が九州電力に吸収合併され所謂、九州電力料金となり結果的に安くなった次第
それに加えて供給電力の能力・品質の悪さも・・夜も遅くなると削減される供給電力により同じ裸電球の明るさが低下する
また電圧低下で主だったところ・・例えて小学校で蓄音機でレコードを再生する際にスライダック(昇圧器)を使って電圧を上げていたものです

黒電話と聞いただけで、いろいろな思い出が浮かび上がって来ます

折角の思い出づくりの旅先の宿にて懐かしき「黒電話」を室内に見つけ、お泊りになられる旅人の皆さんも感慨深いことでしょう

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想い出の「平田食事センター」(岡山市、国道2号線沿い)が昨年閉店?お世話になったしイイ雰囲気だったが

直前の当ブログ投稿記事にて、お盆休みで帰省される方・行楽に行かれる方で当地、亀岡市(京都府)を通る国道9号線(山陰地方から山口県下関市まで)は朝から何時もより渋滞が・・
と記しました
昨年の9月には「青春18きっぷ」でJR山陰本線を利用して長時間、固まった姿勢での旅をしました
一昔前には北九州より帰阪する際に、日本海沿いに当の国道9号線をドライブしたものです

高速道路利用時にはサービスエリア(SA)・パーキングエリア(PA)など、他には道の駅・ドライブインなど立寄っての蒲鉾・麺類を頂く雰囲気がたまらないデスね

以前の投稿記事を見てみたら有りました
関東・中部・関西・中国の各地方でのドライブで車中泊の為、道の駅・ドライブインを利用、お世話になった中から4点ピックアップより


関東・中部・関西・中国の各地方でのドライブで車中泊の為、道の駅・ドライブインを利用しましたが走行したコースでの利用で、お世話になった中から4点ピックアップ!
●道の駅「柳津」 主要地方道岐阜南濃線、岐阜県岐阜市柳津町
●道の駅「月見の里南濃」 国道258号、岐阜県海津市南濃町
●道の駅「しらとりの郷・羽曳野」 主要地方道美原太子線、大阪府羽曳野市
●ドライブイン「平田食事センター 本店」 国道2号(岡山バイパス)、岡山県岡山市南区

東名高速道路の「海老名SA」、岡山市、国道2号線沿いの「平田食事センター」の雰囲気が好き より


高速道路・国道や一般道でもサービスエリア(SA)・パーキングエリア(PA)ドライブイン・道の駅みたいな雰囲気は好きです
そこで食べる蒲鉾・・・など美味しいですネ
一番か二番か三番かの利用客で何度か行った東名高速道路の「海老名SA」この年末年始の賑わい・慌しさは如何ほどだったでしょうか
前に何度か利用した「平田食事センター」(岡山市、国道2号線沿い)
は一味違う昔ながらの極く庶民的な雰囲気のドライブインです
車中泊もしましたし・・・ところで懐かしくてネットで検索してみたら
お店のホームページは無さそうでしたが・・・さすがですネ
その食堂へワザワザ行って来ましたとか「平田食事センター」へは何度も食事に行きました云々の投稿記事が多数有りました
平田食事センター」さんは恐らく長年にわたって変わらないスタイル
で営業しているのでしょうが何かひきつけるものが有るみたいデス

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ネットサーフィンしていたら何でも「ひらしょく」とも呼ばれて親しまれていたとも・・しかしながら時代の波のせいか、昨年に閉店したとのこと
次の各ブログ記事が、食堂の面影を懐かしく蘇らせてくれます
(外部リンク・・・「万華鏡」さん)

2015年6月16日PM11時 平田食事センター閉店します。

16日閉店の 平田食事センターへ 行ってみました。

2015年6月14日 もうこれが最後 平食に行ってみた。


時代の流れとは言え一昔前(失礼)の雰囲気を漂わせた「平食」さんが、閉店に至る状況だったとは・・・
小生が利用したのは年末年始の頃、従い国道2号線に面した「平田食事センター」さんは食事するドライバーさんやゲームに興じる方もおられた
何となく庶民的なメニューが豊富でピッタシだった
車内に毛布は持ち込んで有ったが、あまりに寒い中での車中泊でした
従い食事も温かいものを+体を温めようと1~2杯・・運転する訳で無し
終いには車内を暖房入れて・・・朝、目が覚めたら燃料ゲージが大幅にダウンしていたなぁ~
あの頃は所狭しと・・広い?駐車場の中で駐車スペースを確保するのに難儀したり気を使ったりした程だったし、レトロ?な雰囲気も手伝ってよもや閉店になるとは・・

また何時の日か、国道9号線を走ることが有れば立寄ってみたい
車中泊しつつ、あの雰囲気の食堂で飲食して見たかった
小生にはピッタシ・カンカン