「その他、いろいろ」カテゴリーアーカイブ

雨模様?曇り模様?昨夜の京都タワー(京都府京都市)は夜景が 浮かび上がる感じ!あの場所で・・

京都タワー
当ブログにて京都タワーは何度か顔を出していると思う。 また昔話になってしまう

父親が亡くなって久しい。 観光客にとっては絶好の観光スポットの一つなんでしょうが・・
実は父親が初めて大病・持病が表面化したのが此の京都タワーのエレベーター使用時のこと
子供が多く両親揃っては勿論、独りでも観光に出かけることはまず無かった
兄弟が実家へ帰省した際に京都見物に連れて行った時の出来事でした
急激な気圧変化などで持病に異常を感じたのだろうか

戦前の奄美では、他の地方でも同じ風潮は有ったと思いますが”産めよ増やせよ”の時代、周囲では兄弟5〜6人は普通でした
我が家では戦後も食料自給の為、田畑を少しずつ買い足して来たらしい
生家で1ダース?を越える家族全員が小さな藁葺き・トタン屋根の下で暮らしていた頃は仕事に子育てで大変だったと思う
兼業農家とは言っても二期作の稲作ほか農作業も結構色々本格的におこなっていた。 元々、農家だし
ニワトリも飼っていた
味噌も手作りで不足分を・・
水道は無く、井戸から竹棒での汲み上げだった

父親の仕事の為、奄美大島に移り住むと借家の敷地内の片隅で僅かな野菜を栽培するのみ
キャベツ・白菜・ネギなど
本土や島内で学生生活を送る兄弟たちへの仕送りで全く余裕が無かったんでしょう
いつも買掛帳で、まとまった米・食料品を買っては給料日払い
母親は本場大島紬の機織りに精をだし家計の足しに

ある時点で辺鄙な農地では資産価値は急速に低下して行くことに。 食生活の変化でお米の需要が減って行く
急速な工業化・工場生産性の大幅な向上・
食材の購買力が高まり農業依存度が低下して行った
兄弟は全員が本土にて暮らし農作業に携わる者は一人もいない
当方も家庭菜園ならいずれ・・の気持ちは有るが。
田舎の田畑は叔父さん宅に譲り渡すも、さて今 農作業を続けているのだろうか・・お年だし・・

親は自分達からすすんで旅行する事は無かったが、ただ一度 父親が自分から「吉野の桜見物」に連れて行って欲しいと言われながら結局、応えられず叶えてあげれなかった
先が短いのを悟り、ただ一度の感がする願い出だったと思うと情けない。 数年前には母親も・・つい先日、墓参りを・・
ずっと徳之島の生家近くに職場が有り農家と見紛うほど兼業の農作業にも精を出していた父親が、初めて島外の奄美大島に赴任する
当方が小学4年の春、業務の引き継ぎや当時の交通事情からか新学期早々、一週間遅れての転校だった
父親の赴任先近く、小学校校庭の周囲には多くの桜の木が・・
花が咲き誇り、青葉がやがて緑一色に・・
さくらんぼ がふんだんに取れたしメジロも・・
今はどうだろうか?
ハエとり紙のモチで・・・メジロの鳥かご にて飼う
大人たちはメジロの鳴き声大会など
生家近くでは見られなかった桜の花は見事なもの
それも有っただろうし、読み物から又人伝吉野の桜への一度は行って見たい、見てみたいの気持ちが沸いて来たのだろう・・母親から何度か聞かされた
父親が吉野へ行きたがっていたと・・自分がその気を無にしてしまった

ところで当方で運営しているブログは幾つか有ります
昔話・思い出等、くどいほど繰り返し記して有りますが・・何故か?分析??してみた割合は

●なにより確かに、くどい=しつこい・・・75%
●直接話せなくとも何時か目にして欲しい人達がいる・・・5%
●ブログのコンテンツ量を確保したい・・・20%

自由気ままな究極のエコ旅を車中泊で何度も。でも心身とも真逆な境遇の熊本地震の被災地ではエコノミークラス症候群が

九州の熊本・大分地方を広範囲に襲う大地震が・・
痛めつけられた大地・建物に容赦なく畳みかけて来ます
従来の地震は強弱は有っても単発の大きな揺れの後、徐々に弱まりつつ余震が続くケースだったんでは?
今回の熊本地震は大きな地震が広範囲にわたって発生、夫々が又誘発の源に・・。 先ほどは八代地域を震源とする大きな地震も。

望まずしての避難生活、心身ともに大変な一日一日をお過ごしのことでしょう。 何とか乗り切って欲しいものです。
報道では「エコノミークラス症候群」を患う方もおられるとか
例えば色々な事情で狭い車内での「車中泊」・・で一夜、否 先が見えず
今の今日の明日の・・近い将来・・先々が見通せない不安の中、せめて休息・睡眠ぐらい体を休める場所・スペースが必要なんでしょうが・・
狭い車内では、足を伸ばすことも難しいし身動きもし難い
その硬直した体勢で長時間も・・ストレスの重なりの空間で・・

さて私事で「車中泊」は何度も体験しましたし、ブログでは何回も・・
究極のエコ旅としての無宿の代わりの車中泊でした
多くは各地の「道の駅」、サービスエリア(SA)、パーキングエリア(PA)、ドライブイン、湖畔、買い物ついでに売店の駐車場などで・・
軽自動車の車内で確かに狭く感じ自由に体を動かせなくて大変でした
と言っても、ドライブしていて成り行き任せのコースでの望んでの旅
疲れたら休み道中で、新しいスポットを見つけては寄り道したり・・
臨機応変?自由気ままな旅に「車中泊」は便利・半ば必要な手段だった
体を休める方法は他に色々と出来ましたし・・いい旅、思い出の旅を求めてのこと故、車中泊が苦痛だけでは終わらなかった
多くの旅の楽しみを味わわせてくれた車中泊・・でもネ、この車中泊を被災した自宅の代わりに避難生活拠点にすることは耐えられない
避難生活にはグッスリ睡眠をとる必要が有るハズも現実は真逆な境遇に置かれています

今の群発地震・・兎に角、おさまって下さい

未だに続く大地震で鹿児島本線・豊肥本線は大きな運行規制、九州新幹線や九州自動車道は?

未だに収束方向が見えず、新たな地震も取り沙汰されている状態みたい
通常のケースなら一点集中的な震源地なのが広範囲にわたり震源となっている
予想・予測も困難な様子・・従来に見られないケースらしい
これまでの被災は勿論、先行きが読めない日々に更には将来の生活の立て直しに不安が一杯でしょう。耐えても頑張っても・・の気持ちでしょう
通常は何とも無い「水」の確保、僅かな量の入手にも苦労されている様子は見るに忍びない
少しでも明るい見通し・・新たな地震の恐れが薄まり余震が収まって行って欲しい

何方かと言うと沖縄県に近い徳之島で生まれ鹿児島県、奄美諸島徳之島・奄美大島両島の小さな集落を転々とした
高校時代は奄美随一の都市、名瀬市(現、奄美市)で過ごし本土に出ても初めは九州・鹿児島県鹿児島市内での生活
その頃は関西・関東の本土の兄弟・後に移り住んでた親元へ行くのに何度か九州地方の交通機関を利用していた。勿論、九州新幹線九州自動車道が利用出来ない頃。 今はJR、当時は国鉄さんでしたね
関西または関東方面への移動には専ら国有鉄道夜行寝台急行列車だった。 特急列車には乗れません! 特急券が必要でしょう!
今で言うグリーン車は無かったが座席指定で無く、いつも自由席だった?でも寝台だから指定席だった?
記憶はオボロゲ、1等車・2等車の違いだった?
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実は奄美群島から鹿児島港or神戸港中突堤までの船室には1等車・2等車が有った
一番安い料金の船室利用だったが船便では3等室だったかも・・
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上下だったか上中下だったか、いつもお安めの寝台利用でした・・でも、いつもワクワクしたもの・・長距離の列車の旅
一度だけ豊肥本線経由、四国の愛媛県八幡浜市
一度は阪神から鹿児島市へ日豊本線を利用しましたが、他は鹿児島本線ルートでした

今回、未だに続く大地震で鹿児島本線・豊肥本線は大きな運行規制を設けている由
本州や福岡方面より熊本・鹿児島方面への直行は出来ないようだし、突然の事態に利用客の方々も大変な事です

地震発生地域の方々は生活基盤を奪われたり少なからずの各種の生活不安が・・早く落ち着いて欲しい

未曽有の規模の地震・それに伴う大津波が襲って来た東日本大震災地域の方々も未だに大変なご苦労をなさっている

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九州の広い範囲で大きな地震が。大きな地震や余震が止んで欲しい。熊本周辺は幾つか思い出が修学旅行で

九州の広い範囲で大きな地震が起きています
未だに畳みかけるような止まない地震が・・痛ましい状況に・・
早くおさまって、不安感が幾分でも緩和され復旧作業が進むことを願うばかりです

正に今、地震が起きている地方・熊本地域は幾つか思い出に残るところなんです
沖縄県より一足先に日本に復帰した郷里・鹿児島県大島郡の徳之島で3カ所目の小さな中学校に通ってました
その時は、親元を離れ年老いた祖母との二人暮らしだったんです
中学校の例年の行事、修学旅行で熊本周辺へ・・刺激の少ない生活の中、大きな出来事でした
周りでは親が旅行の準備をする中、年老いた祖母に準備を頼ることも出来ず何となく不安を抱えての参加でした
種子島・屋久島近くを通って本土・鹿児島県鹿児島市へ向かう
早々から定期便(奄美群島内の各港~鹿児島港)の大きな遅れが有り、当初予定の鹿児島市の山形屋デパート見物は無くなり急遽変更で熊本市内の大洋デパートを見物
本格的な百貨店・初めて体験のエレベーター・圧倒的に豊富な商品を目にして違う世界?・・発見です
整備の行き届いた大きな公園=水前寺公園、鹿児島市から初めて汽車に乗ったがスイッチバック式鉄道の旅・・
今回の地震で被災した熊本城に行ったはこの時だった別の機会だったか記憶は薄れて・・
いよいよ阿蘇山に・・当時は火口まで行けた!圧倒的な自然の迫力・・まさに修学旅行
ネットで検索して見ると阿蘇・内牧温泉・・確か「内牧」の地名に覚えが有る感じ~恐らく修学旅行で一泊したのは此処だったのでは?
宿で卓球をしたり・・また、初めて瓶入りの牛乳を口にした。 美味しくて2本も飲んだなぁ~
阿蘇の米塚・・都会?本土?には、緑で覆われた綺麗な形の小高い山が有るんだなぁ~と
更に福岡県の久留米市だったか当時は必需品・貴重品だった運動靴月星ゴムの製造工場見学・・修学旅行だもの
記憶は不確か、初日だったか最終日だったか鹿児島市内の鴨池動物園も見学・・・移転して今の鹿児島市平川動物公園
修学旅行どのコースだったかトンネルを通過する度に汽笛に合わせて窓を開閉するのが珍しくも徐々に上手くなって行った

それから数年後、鹿児島市~えびの市~人吉市~熊本市~別府市=フェリー=八幡浜市~松山市~高松市=フェリー=神戸市鉄道・フェリーの旅
一度だけの短いヒッチハイク・・したい気は有っても結局は(か・わ・い・そ・う=オ・モ・テ・ナ・シ)の気持ちからドライバーの方から声をかけてもらっての体験
国鉄(現JR)熊本駅待合室始発電車を待っていたら営業時間外ですよ!と、これまた違う意味での声を掛けられる(ダ・メ=だ・め=NG)の気持ちからか

福岡県の筑豊方面からのドライブ阿蘇外輪山を走行したことも・・見晴らし良い・絶景の雄大な光景・風景を目の当たりにして気分爽快に、もう一度の気分に。

いい思い出を沢山くれた熊本地方・大分地方が今、甚大な被害をもたらして来る連続的な地震に・・襲われています

阪神・淡路大震災の際は、自宅の水屋から食器が落ちて来たし別の場所では温水器からの漏水壁割れの現象を目の当たりに。
更に実家ではブロック塀が倒壊し屋根瓦のズレも発生し暫くは青いビニールシートで覆っていた。 ビニール袋の不足が・・
それでも被害の大きかった地点より離れていたので何とかしのげました
被害の大きかった地域ではライフライン(水・電気・ガスなどに衣類・寝具・休憩スペース・トイレ・入浴、道路や交通機関)の復旧に手間取る

未曽有の規模の地震・それに伴う大津波が襲って来た東日本大震災
現に地震が頻発している熊本県を中心とした今回の大地震

何れも当地・亀岡市は遠く離れていて被災も無く、それで今後の生活面での耐えられないほどの不安を感じる訳では有りません
被災地域の皆さんの一瞬の境遇の変化には何と申し上げて良いのやら・・取敢えず大きな地震や余震が止んで欲しい

GB・MB・KBで無く単なるバイト単位のボードコンピュータ・自動運転車・はなして翻訳・人工知能・ロボット・囲碁・将棋

昔の東京・秋葉原の電気街にて確かモトローラ製だったと思いますが大枚はたいてボードコンピュータ(どう呼ばれていたか思い出せない・・僅か256バイト程のメモリ・・キロバイトでもメガバイトでもギガバイトでも有りません~単なるバイトの単位なんです、故にコンピュータなんて呼べる訳ないが・・時代時代の性能評価基準は違うし有りか?)

さて一気に自動運転車の実現化・普及の期待が・・
ついこの前までの認識では、道路や施設関連での支援設備・機能が洗練されて整備されないと・・・ずっと先のことだろうと考えていました
しかしデジタルの情報処理性能が格段に進歩し小型化・信頼性アップなど驚くほどの進化で本当に実用化されようと・・
周囲環境からの情報支援を大きく受けてと言うより、センサーのこれまた高性能・小型化・高信頼性と相まって・・自立した情報収集・情報処理にて運転できるんだよと・・
人工知能の進化でロボットがより人間様に近づいて来たとかの話も・・
将棋や囲碁の世界でも・・・

さてさて先日、通信キャリアを変えスマートフォン(スマホ)も新しくなりました
大体のチューニング作業も落ち着いて来ました
いろいろ体験出来ましたが、ここで一つ・・・
はなして翻訳」なるサービスが有り、結構使えそうですネ
慣れて落ち着いて手際よく操作出来たらソコソコ翻訳出来そう
京都市内の現場に出ていると稀に外人さんから行先のことで尋ねられることが有った
一度、慌てず・焦らず・冷や汗かかずに自力?否、スマホの力で道順を教えて見ようかとも・・
でも尋ねる方にも相手を選ぶ権利が有るしな~