亀岡も一応”市“の一員、ソコソコの人口は有しています
東京都には勿論、大阪市や京都市には少しばかり人口数で負ける?のでは・・でも結構、広いですよ。 田園風景も有ったりしてイイとこ!
亀岡市内でも比較的に近いエリアに限ってみたら、コンビニエンスストア・回転ずし・整骨院などがチョコチョコと開店しています
今日は珍しい光景をゲット!
ガソリンスタンドは閉める場面を何度か見て来ましたが、何と新規開店です・・コンビニ店も隣接して・・
従来、亀岡市内の国道9号線沿いの其の地点では目立った建物が無く、空白地帯(失礼!確かに業態によってはベターかも)でしたネ
セブンイレブン亀岡大井店
亀岡SS
の新規開店
小生が、一番に願うのは「読み物を置いたモーニングサービス有りの落ち着いた雰囲気の低料金の~トースト・ハムエッグ・サラダ+コーヒー」を気持ち良く提供してくれる喫茶店の出店で~す。希望する条件の大方を備えた喫茶店は、京都市内まで出かけたら有ると思いますが・・ちょっと待てよ!自転車で片道一時間半の往復3時間かけてモーニングを?それを目指すには早朝時に限るとの時間帯制約も大きな壁なんでは?ならば電車で出かけたら?・・往復、数百円の追加負担能力・余裕有りか?・・考え方があま~い!
京都府亀岡市で初開催の「肉フェスタ2017」
平成29年11月4日・・南郷公園(亀岡市)で催されました
立ち寄って見ました。 初回? 結構賑わっていましたネ
美味しそうに焼肉を頂いている方も多かった!
小生は元々、菜食中心・・と言っても、昔と異なり今はかけ離れていて、そうしたいと願うだけ・・思い出す・・
肉と言えば、生家では藁葺き屋根の小さな豚舎で3~4頭くらい飼っての養豚で正月を迎える前の年末には塩漬けや味噌漬けに・・
狭い一軒家に大家族だったので不十分では有ったが毎日2~3個の卵を産み落とすニワトリも3~4羽ほど・・これまた小さな藁葺き屋根で高床式の蔵が・・その高床部分を囲っての養鶏でした。
当時は兼業農家でしたが家計収入は殆どが父親の収入だったものの農業面でも二期作の米作にサトウキビ・サツマイモ・数々の野菜類なども栽培していたし米・野菜中心でしたね
うどん・素麺に豚肉の料理は頻繁に出されていました
大きな茶箱は衣装ケースに、うどん・そうめん箱は本棚に、時には座机に使用したり・・
肉料理には縁遠い食生活の中で敢えて思い出してみよう
最初の職場が大阪市内で、何度も帰宅前に「ジンギスカン」料理を・・・
今は大阪市の梅田界隈にモダンな商業ビルが建ち並ぶも、現在の駅前ビル数棟が建つ前にちょっとした古くからの食堂街が・・そこに1か所「眠眠」が・・
それから数年後、松阪肉 和田金 (三重県松阪市)の座席にて甘~い「すきやき」料理を・・・美味しい味では有ったが日頃、肉料理の食感が身について無かったので比べようも無かったような・・
さて更に数年後?関東地方に在住の頃、肉料理を・・と言ってもランチ・メニュー[サービスランチ]を目当てに焼肉レストラン「安楽亭」に何度か
生家近くにも数頭の”牛“を見かけることは有った。
でも肉牛で無く、牛肉を食べたことなんて無かったよなぁ~
我が家の田んぼでも、耕運機やトラクターは無く田を鋤くのに”牛力”で耕してもらった記憶が微かに残っています・・あくまで農耕用の牛の存在だった
更には生まれ育った奄美の徳之島(鹿児島県の南の離島、沖縄県のスグ北方)は”闘牛“で知られた島なんです
闘牛むけの牛の存在は強いイメージが有っても牛肉を・・とは
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1頭が逃げ出す・・円形の柵に沿って逃げ回る。 勝者は追いかける場合も、ド~ンと落ち着いている牛もいる。 何番かの取り組みが行われていきます。 勝者の闘牛の背に跨ったり立ち上がったりでワイドワイドの掛け声や踊りで応援も絶好調。 或る時、小学校のスグ近くの牛がすごく強いとの印象が・・残っています。 「篠原(しのはら)牛」だった?・・その牛が急に何処かへ行ってしまった。 今になって懐かしくネットで検索したら1~2回のトレードを経て「実熊(さねぐま)牛・・実熊号」となって行く。 初代の実熊牛らしい。徳之島全島一の栄誉を何度も重ねて行ったらしい・・闘牛大会での横綱を何度も張った訳ですネ。 子供ながらも身震いするくらい興奮したものです
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懐かしい思い出(徳之島・奄美大島)~奄美群島(奄美諸島)
=(奄美大島・徳之島・喜界島・沖永良部島・与論島)