表現力に欠ける、乏しい表現には数量にて。殆ど全部がエコ旅~車中泊ドライブ・仮眠サイクリング・無茶で無謀なハイキングや登山「旅写真アルバム集」でネット検索

懐かしき「写真集・フォトアルバム・スライドショー」 (工務店) エネシスポート サイト運営担当(WEB担当)、旅路の写真集

表現力に欠けますネ、乏しい表現力には数で補おう。殆ど全部がECO旅~車中泊ドライブが多かったり仮眠泊と言うか僅かな仮眠でのサイクリング・後で振り返ると無茶で一見して無謀なハイキングや富士登山を初めとする登山。
その殆どがECO旅・一人旅なれど一昔前の写真は処分や紛失で皆無?記憶力の頼りなさが進むなか最後の砦にWEBサイトの構築運営で「旅の備忘録」として・・・

旅写真アルバム集」でネット検索したら・・結構な位置にて顔が見える

決して無駄では無かったと・・・

我が旅写真も旅も”ECO旅”・”エコ旅”・”ひとり旅”・”一人旅”・”独り旅”

ごく一般的な普通の旅(失礼)や豪華列車のJR東日本「四季島」やJR西日本「瑞風」ほかによる、ちょっと贅沢・ゆったりした・思い出多い旅行は皆さんの御担当でお願いしたい

旅写真アルバム集

 

京都観光、京都旅行、京都の旅、京都旅、京旅、京都たび、京たび、京都トラベル、京トリップ、京都散策・・皆さんにとって一番フィットするニュアンス・イメージは?

今では世界遺産も多い世界的な観光都市の古都・京都市

京都観光、京都旅行、京都の旅、京都旅、京旅、京都たび、京たび、京都トラベル、京トリップ、京都散策・・皆さんにとって一番フィットするニュアンス・イメージは?
・・・当方に対して問いかけられたら、・・・言葉で表現するのは難しいですネ!
エイヤー ・・・ 取り敢えず上記に列挙した類の京都近郊・京都関連の思い出を収録したページを設けておりますので、ご面倒ですが当該ページにお立ち寄り下さいませ・・・すみません、御苦労さまです

京都(嵯峨野嵐山・東山、神社仏閣 他)観光・散策

連携運営のグループサイト群

サイト群紹介 サイト
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旅ネット・ネット旅サイト
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やや私的 Twitter
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京都府、京都市・亀岡市・長岡京市 近辺

インターネットの世界で多目のWEBサイトを運営中、BLOG限定でも数サイト!他の殆どのサイトさんと区別出来るのはサトウキビ等の南国?奄美群島(奄美大島・徳之島ほか)の風土・歴史にまつわる・・

INTERNETの世界で多い目のWEB Site を運営しております。

BLOG限定でも幾つものウェブサイトを・・

ほぼ全国のサイトさんと区別出来て少しでも特徴有る記事内容としてはサトウキビ等物産品や南国?奄美群島(奄美大島・徳之島ほか)の歴史風土にまつわる内容の記事かも・・・本場大島紬・先の大戦直後は米軍の統治下にあって軍票(紙幣に相当)・税関の立ち合いに準ずる扱いでの乗船・下船など・・いろいろ
生徒なれば知り得ないことも多いが、日本に復帰し本土に足を踏み入れてから当時置かれていた状況を思い出してみたり・・

先には一時期勢いのある伝統織物「本場大島紬」に係る思い出話を記してアップしましたが・・・今回は此れまた、一時期は大きな農産物だった「さとうきび」にて・・
サトウキビ”で当ブログ内を検索して見ましたら、やはり多くの記事が見つかりましたので下にリストアップします

うるち米・もち米、さつま芋・ムラサキ芋?、芋弁当、槙、桑、サトウキビ、落花生、パパイヤ、バナナ。記憶容量小さく記憶力無い中、思い出を手繰り寄せ備忘録ブログ

昔は農作業(二期作の田植え・稲刈り、落花生、サトウキビ、野菜類ほか)の手伝い!懐かしく一旦はベランダ菜園も・・いつの間にかシャットダウン

サトウキビ担ぎ、飲み水・五右衛門風呂水を天秤棒で。カマド にハガマ、プロパンガス・薪

某大手商社がサトウキビの搾りカスや利用されて無かった部位も発電燃料に? 昔 牛が回ってキビ汁を搾っていたなぁ

サトウキビや黒砂糖、台風銀座と言われる奄美諸島(奄美大島・徳之島・沖永良部島・与論島・喜界島)では飴も自作だった?

亀岡市(京都府)ではトラクターで麦の収穫、田圃を耕したり田植えもチラホラ。生家では総出の人力で田植え・稲刈り・脱穀を年2回の二期作、台風銀座の奄美で

記憶力の無さは自認。華々しい活躍の方々の披露はマスメディアに譲るとして懐かしい思い出は故郷・本場大島紬ほかをウェブサイトにアップロード

歯科治療、大事な大切な自分の持って生まれた歯を削る前に今一度、立止って判断を!削った歯は戻らぬ。比べてみる少しの勇気を

数日前に一袋3個入り”玉ねぎ”を食用に食材として購入したつもり。勝手に?自然に成長に生長された!ならば鑑賞用がお得か?

「ブログ投稿記事を奄美大島 徳之島で検索しピックアップ」より部分的に抜粋して懐かしい思い出を再掲~鹿児島県大島郡の島々で

芥川賞受賞!お笑いコンビ「ピース」又吉 直樹さんの母親の故郷は奄美の加計呂麻島とか・・いささか思い出ある島。懐かしい小さな桟橋に定期航路の大きな?桟橋

昔むかし若い頃が有ったとさ小生にも。不思議だなぁ〜いつの間にか後戻り出来ない高齢になってしまった!あの頃が懐かしく・・

先に投稿後ネットで情報入手、阪急電鉄塚口駅近くの兵庫県伊丹市関連を。国の重要文化財「旧岡田家住宅」が解体修理を経て一般公開とか。ひょっとしてO君宅?

先日の日経MJで読んで「ぽん酢し ょうゆ・ゆずの村」を味わう機会が・・美味しかった!ゆず味。湯豆腐でした。お求めやすい値段でした

幼少・中学時代に曲がりなりにも田畑の農作業手伝う。ベランダ菜園は一回限り。ブロードバンド環境の下、自給有りの老後も良し

某牛丼チェーンが期間限定で「生ウニ丼」を販売?数少ない海鮮丼の食事の思い出や栄養失調時期にバカ盛りのウニを

今回は一つ「旅」&二つ「ネット・サイト」&三つ「東・西・南・北」を組合せた複合検索語句での結果は?

徳之島の生家近くで今ではタンカン栽培が。奄美大島では柑橘類も。桑の木・蚕・繭・生糸・本場大島紬

Oh mistake! 先ほど見逃した!「旅ネット or 旅サイト and 五右衛門風呂」で3日前投稿記事が上位に?

旅ログ=(旅の備忘録or旅のブログor旅記録or旅日記)など頑張っ て?毎日の様にアップロード

台風銀座と言われ、人口・通行人では東京の銀座に順位を譲る も、こと接近・上陸数では負けるものか

富士山に登り分別つかずに軽装で足の負傷で動けない人、田植え・稲刈り・脱穀する人、米とぎ・飯炊き・餅つき・レンジでチ~ンする人

「ベランダ菜園」にトライしかけたことも・・続きまへんでした・・色々とそろえたのに・・腐葉土やら

あの時、アレをしていたら・・ハミガキ、歯磨き、はみがき、HAMIGAKI 励行で万歳人生かも?

ベランダ菜園は数種類。種蒔きからの成長を楽しんでいました

京都縦貫道 平成27年7月18日(土) 14:00 全線開通!予定、福知山市・綾部市、徳之島・奄美大島

今思えば、このような俄か園芸も。 結果は? しかし一度は実った!

つい先程、水粥(みずがゆ)をすすりました。 美味しかったですよ。 ホントに

もっと もっと昔、田舎での懐かしい・・・あの頃の食べ物・・・

懐かしい思い出~徳之島・奄美大島

懐かしい思い出~徳之島・奄美大島

「旅の宿」旅宿~「旅・宿」「旅」(旅行・観光・温泉・行楽) で泊まる宿泊施設サイト「宿」(旅館・ホテル・民宿)ほか
旅の宿」旅宿~「旅・宿」「」(旅行・観光・温泉・行楽)
で泊まる宿泊施設サイト「宿」(旅館・ホテル・民宿)ほか

 

うるち米・もち米、さつま芋・ムラサキ芋?、芋弁当、槙、桑、サトウキビ、落花生、パパイヤ、バナナ。記憶容量小さく記憶力無い中、思い出を手繰り寄せ備忘録ブログ

年を積み重ねるにつれ頭の記憶力が・・元々の記憶容量が少ないゆえ昔の思い出が僅かばかりで詰まってしまった
古い過去の思い出が少ないながら占領してしまった感じで新しい思い出を押し込めようにも徹底して追い返して来ますね
早いトコ、その頼りない自分の頭から理論的には加齢しても物理的な記憶装置は経年劣化しても適宜バックアップを施せば劣化しないとか噂のディジタル保存。 かくして只今、WEB上の・・例えばつたない文章でブログに書き留めております
アクセス数は皆無のゼロでも良し。 第一には自身の備忘録代わり・・・

さて先程は、稲作・米つくりの件をアップしました
昔の微かな記憶を辿ってみよう!

正月の餅つきは毎年、石臼と杵で・・・直前に「もち米」をふかして「おこわ」に・・・搗き立ての餅も美味しいが、この”オコワ”が香ばしく美味しかったですね~
我が家では「うるち米」も大量に栽培していたが正月用に「もち米」も少々は自家栽培していた・・・大家族ゆえにアッと言う間に在庫切れに。

さてサツマイモも栽培・・・大きな鍋で大量に蒸かしたり・・・
食糧難から全員が持って行ける芋弁当持参の曜日が有ったり・・
蒸かしたサツマイモを大きいのは1個、小さ目のは2個ほど弁当箱に詰めて、さぁ~学校へ登校だ! 弁当は、ご飯の代わりの「さつま芋」
何時だったか数回程、サツマイモの葉っぱが味噌汁に入った事が有った。 よほど生活のやり繰りに窮していたのでは?
因みに此のサツマイモ、割合としては少ないものの紫色したムラサキ芋?が非常に甘くて皮を剥き易くて良かった・・美味しかった
何となく柔らかい感じの水分を含んでいそうな畑で栽培していた様な?
ひょっとして田圃の一部で米作の合間にサツマイモ畑にして何時もと違う品種の「さつまいも」を植えていたのだろうか

栽培する分量では無いが、蚕の生育用に植えられていた「桑の木」の実や井戸を囲んで植えられていた「槙の木」の実を口にしたり・・・油断するとハエや他の小鳥にさらわれたり・・・
でも此れ等の木や庭に数本のパパイヤ・バナナには毛虫が顔を出し結構痒い思いをしたもの

懐かしい思い出~徳之島・奄美大島

懐かしい思い出~徳之島・奄美大島

亀岡市(京都府)ではトラクターで麦の収穫、田圃を耕したり田植えもチラホラ。生家では総出の人力で田植え・稲刈り・脱穀を年2回の二期作、台風銀座の奄美で

ここ亀岡市(京都府・・京都市に隣接)には田畑の農業用地・農地も多い
亀岡市内には結構なトラクター台数が有るみたいですよ
直接、の大生産地を訪ねては無いですがスグ近くで麦の収穫作業を見掛けた。
なんと大小色々なトラクターで収穫している。 スグにはクエスチョンマーク?だったが或る方に聞いてみたら麦の刈り取り中とのこと。
今年は雨が多く育ちが今一つ・・それ故に、稲刈り機ならぬ麦刈り機に例年の如く馴染まないらしい・・・実りが細く、引っかかり難いみたい
しかし稲狩り・麦狩り兼用トラクターか?
確かに一人前の十数倍くらい(失礼、馬力には程度の違いが・・)の効率での生産性か?

現時点では田植えの済んだ箇所は僅かなれど、耕運機が進化してのトラクターで耕したりでを引く直前だったり・・苗代も待機中だったり・・

昔は我が家でも米作・・・田植えや稲刈り・脱穀もも・・・
所々で見かけた麦作と米作の二毛作では無く、年2回の米作りだった
一年に田植え・稲刈りとも2回ずつの二期作・・・その途中に台風銀座と呼ばれるほどの台風の進路・コースに・・・
米作・収穫量から見て難敵の台風だったなぁ~、よって味第一より風に強い農林??号とかの品種が優先だったか?

確かに先程の亀岡市内でトラクターによる耕運作業・稲刈り脱穀作業は高効率でしょう・・上をみたらキリがない
日本でも本格的な米作地域やアメリカの大農園では・・・見たことは無いが・・更に効率生産可能と容易に推察できる

我が家の田圃は親が徐々に買い足して行ったとか聞いたことが有った
は自宅近くに点在も田圃は2~3の集落離れた所に点在していた
従い米作作業は田圃まで行きつくまで大変だった
棚田とまでは行かないが高低差・変形の田圃、未だに集約化は無理でしょう・・・だって作れば作るほど・・・・当時でも時代物の耕運機は見かけたような・・・イセキ・ヤンマー・クボタ
生家では親戚・家族総出の人海戦術で・・・余裕無かった筈・・耕運機購入費用が・・一度だけ微かな記憶が・・・夢ではなかろう・・
田んぼを鋤くのにを借りたことが有ったような・・引っ張ってもらう為に
だって一度は生家のスグ近くの小さな製糖現場でサトウキビを絞る回転機の周りを回る牛さんを見掛けたことも有ったし・・
考えて見れば珍しい不思議な光景でもなかろう・・だって日常的に牛車は有った訳だし。

小さな島の中とは言え、狭いデコボコ道を通って田圃に辿り着くまでが大変、帰り道は尚だったか・・あまり覚えて無い
ただ収穫済んで・・不思議に記憶が飛んでしまった・・脱穀前の稲の束だったか脱穀後の米俵だったか?・・・希少なトラックをを頼んで荷台一杯に積んで運ぶ・・・何度か荷台にしがみついて帰ったことも・・・
夕方の薄暗い中を流れ行く近くの木々の姿が一瞬、幻かと錯覚するような光景に見えたり・・・
滅多に乗れない本土からのお下がり品、ボンネット型乗合自動車の中で座席にすわり見る景色でなく顔のスグ横を木々の葉っぱ・道端の草が過ぎ去って行く・・・大袈裟と思われようが・・
幻想的だったなぁ~
よくも振り落とされないで帰れたもんだワ・・それで今も我有り・・不思議

脱穀も体格面でひ弱な身には欲張って太目の稲束を差し込むとあっと言う間に引っ張り込まれ脱穀機の爪に・・・あぁ~怖かった
脱穀して羽の長い手回し扇風機でチリクズを飛ばし米だけを下に集める・・・扇風機を回すも人力、多すぎる量ゆえ風の出てくる夕方には浜まで出向き自然な浜風を人動扇風機代わりにして選別したり・・・
さて最終的には庭先に有った高倉(豪商の高倉を想像する勿れ)~貧祖なちょっとした小さな藁葺屋根の・・・主には米俵貯蔵用?
確かに高床・・・湿気予防に通風・洪水による浸水予防、床柱・束柱にはネズミ・ハブ侵入防止のスベリを・・・
でも囲って中でニワトリを飼っていたことも有った
豚も飼ってました!
先に母親が機織りをしていたと記しましたが、父親が奄美大島へ転勤するまでの生家では全く見た覚えは無し。何処で何度の高い本場大島紬の織り技術を身に付けたか・・・ずっと家事の他、農作業だったし・・
もっとも叔母は織物工場では本場大島紬の指導員的な存在で秀でた織子さんだっと聞いている・・・若い頃から姉妹で織り方を習得したんだろうか・・・
改めて思い出すと、隣接の畑の周りには桑の木が何本も植えられていた。 時期が来ると、生家の縁側にはムシロを敷き桑の葉を散りばめて蚕を飼っていましたネ。
大きな鍋で繭を茹でて生糸を取り出したり・・・
ただ本場大島紬の織方は、父親が奄美大島へ転勤となり所有の田畑での農作業が出来なくなってから・・大きな決断wwだったんでしょう
代わりに本場大島紬の織作業を家事と並行して・・・
内心、織作業を教わるで無く独りで出来る見通しが有っての決断だったんでは・・・

懐かしい思い出~徳之島・奄美大島

懐かしい思い出~徳之島・奄美大島